memo
『目的概念とシステム合理性』(265頁)、 経験的な(記述的ないし因果的・説明的な)研究と規範的な、とりわけ合理的・実践的な研究の関係 原書Zweckbegriff und Systemrationalität(343頁) das Verhältnis von empirischer (deskriptiver oder kausal-er…
Social Systems の48頁。 . . . for example, a labile chemical or physical combinatory capacity. 原文はSoziale Systemeの78頁。 . . . etwa labile chemische oder psychische Bindungsfähigkeit. 「物理」と「心理」は同じ言語内でも間違いやすいから…
Social Systems の34頁にこうある。文中の「it」は「autopoiesis」のこと。 In any event, for systems theory it is a far-reaching conceptual cut, which transfers self-reference from the level of structural formation and structural change to tha…
今日から見れば「認識論的障害」という概念が備えていた複雑性は、あまりにも小さかったと言える。 ルーマン『社会の社会 1』10頁 いまからこの概念使うぞー!といったそばから何だよそれという感じだけど・・・ Rückblickend haben die Leitideen dieser ob…
Viele Merkwürdigkeiten der heute klassischen Soziologien muß man der Begrenztheit dieses Auswahlschemas zurechnen und dem Versuch, trotzdem zurechtzukommen. Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 18 この部分が、邦訳ではこう…
佐藤俊樹『意味とシステム』の第四章は「システムの再参入」を主題としている。これを導出する公理系についての考察である。 でもね、「システムの再参入」って何? 少なくともこれはルーマンの概念ではない。ルーマンが言っているのは、「システムと環境の…
佐藤俊樹『意味とシステム』では、「コミュニケーションはいわば後部から可能にされる」というのが索引の見出しになっているくらい重要な位置を占めている。そしてこの本では、それが、先行するコミュニケイションの意味は、後続するコミュニケイションにお…
私見ではMitteilungは「発信」が好ましいが、以下では「伝達」と書いておく。 伝達、情報、理解が関わるのは、作動の閉鎖性そのものではなく、この「コミュニケーションである」という同一性の区別がどこで成立するかである。この同一性の区別は必ずしもその…
細かいけれど。 「作動の閉鎖性operative Geschlossenheit」(「作動の継起operative Schließung」ともいう)は、コミュニケーションシステムの大きな特徴である。 佐藤俊樹『意味とシステム』217頁 継起と閉鎖じゃ全然意味が違うわけですが。 で、schließen…
オートポイエーシスでは、システムの要素は時点拘束的である、つまり持続を持たない(生成した瞬間に消滅する)、つまり作動である、というのがルーマンの基本発想であるが、じゃあコミュニケイションという社会的システムの要素はどの時点で生成し消滅する…
コミュニケイションという一つのものがあるのでなくて、情報・発信・理解という三つのものがあると何で言ってはいけないのか、というのはルーマンのコミュニケイション概念において(少なくとも私には)よくわからんポイントなのだが。邦訳『社会の社会』に…
簡単にいえば、Kontingenzやkontingentというドイツ語は二つの意味、 (1)何が特定されている状態においてそれが他でもありえた (2)何かが特定されえない で使われる。例えばW. ハイゼンベルクの不確定性原理、すなわち「量子力学では粒子の位置と運動量…
ルーマンは1984年になって、反省があれば臨在性=その場性(Anwesenheit)がなくても相互行為システムが成立しうると言い出した、その典拠となる箇所だ、と佐藤が(誤って)思い込んでいる引用文の直後にこう書いてある。 微妙な言い回しが続くが、ここでは…
かりに、時聞をおいてシステムが同一であるとしよう。その場合、中断前の行為やコミュニケーションと再開後の行為やコミュニケーションが接続されるわけだが、この二つは当然、居合わせていない。だから、そのふるまいの当事者同士も「居合わせている人Anwes…
ところが、一九八四年の『社会システム』では、相互作用が定義βとは明らかにちがう形で描かれている。例えば「反省によってのみ処理できる特別な事態が存在する。そうでない場合は、その場性という構成原理でその直接的な方向づけには十分である」など、その…
家族などとはちがい、日常会話では頻繁に人が入れ替わりうるので、人の集まりの形ではうまく一つに特定できない。相互作用システムでも人の出入りは起こりうる。「ちょっとした出会いでもそうである」。むしろ「高い入れ替わり可能性、すなわちその場性の不…
「自己参照」もまた、厳密な意味で一つの参照である。つまり、区別に基づく指示である。しかし自己参照がただの参照でないのは、それが、参照するという作動がその参照の指示対象に含まれる、という特殊事例だからだ。参照それ自体の所属先を自ら指示すると…
以下は多少意訳ですが。 「参照」という概念は、観察という概念と同じような意味になるように定義する。参照とは、(Spencer-Brownのいう意味での)区別と指示という二つの要素から成り立つ一つの作動のことである。つまり、あるものを別のものと区別したう…
コミュニケイションはMitteilungとInformationとVerstehenという三段階の選択で成り立っているというのがルーマンの所説だが、Informationは「情報」、Verstehenは「理解」でいいとして、既訳はMitteilungを「伝達」と訳していていかにもまずいことになって…
コミュニケイションの自己再生産過程、接続過程、連鎖がシステムなのだとすると、つまりそういう過程・連鎖があるというだけで十分であり、「システムがある」というのは省略表現にすぎないのだとすると、たとえば 相互行為システムでは、コミュニケイション…
とりあえず訳してみた。 社会学理論が単純なシステムをうまく扱えていないのは、単純なシステムでは自己意識、境界意識がはっきりしていないということが大きい。単純なシステムの参加者は、自己や、自己以外の参加者を、人として見る。しかし自分たちが行っ…
「単純な社会的システム」からの引用部。 そしてそれはふつう、たんに話の主題が選択的な出来事として展開されるがゆえなのである。 (p. 52) 細かいことを言うようだけど、 auch dies übrigens nur deshalb, weil das Thema als selektives Geschehen entw…
単純なシステム[=相互行為システム]に特有の性質とは何かというと、それは一方では、二つのプロセス[=相互知覚と言語によるコミュニケイション]が同時進行しているために、一種の「分業」が可能になって、そのつど問題を振り分けることができるという…
本当の話題はあるがそれをあからさまに話題にすることはできず、しかし参加者たちはそれを承知していて、婉曲表現を使うことで裏ではその話題について語っているがゆえに、その本当の話題によってシステムが潜在的に支配されている、ということがありうる。N…
とりあえず「相互行為、組織、社会」からの引用部、 話すことは、その場にいない者を示しうる記号をその場にいる代りに用いることで、相互作用システムのなかでその場にいない者をあつかうことを、それゆえ環境という相をシステムのなかで主題化することを可…
「原初的な相互行為」、また「単純な社会的システム」の定義特性としては、参加者の臨在性というのを用いることにしよう。参加者とは、自分の体験や行為を、そのつどの相互行為に提供する者のこと。で、参加者が臨在しているとは、複数の参加者同士が互いに…
ルーマンの理論構築の特徴は、「一般システム理論的にはこうだ。だから、社会的システム理論はこうならないといけない」という、一般理論と特殊理論の厳然とした上下関係(ヒエラルキー関係)にある。 たとえば、 複雑なシステムは、要素間の関係づけに時間…
私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)作者: 永井均出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/10/19メディア: 新書購入: 4人 クリック: 30回この商品を含むブログ (102件) を見る永井さん曰く、「そもそも世界そのものが、時間そのものが五分前にできた…
野矢茂樹『論理学』の、推論の論理式がトートロジーであるかどうかを調べれば、推論が正しいかどうかがわかる、というところ(pp. 40-41)の説明が簡単すぎて、ちょっと聞いただけではわかりにくい(でもすでに理解した人には当たり前)気がするので、補足し…
あるいは、失敗していると指摘することと、その原因/理由を指摘することは違う、といってもいい。いずれにしても、この点について無自覚な人が多すぎる。 ルーマンは、因果論的機能主義を「批判」して等価機能主義を提唱したのではない。「説明」を目標とす…