作業メモ:『意味とシステム』

佐藤俊樹『意味とシステム』の第四章は「システムの再参入」を主題としている。これを導出する公理系についての考察である。
でもね、「システムの再参入」って何? 少なくともこれはルーマンの概念ではない。ルーマンが言っているのは、「システムと環境の差異の再参入」である。「システムの再参入」ではない。
ルーマンの理論では、あるものの単位性(Einheit)は、観察によって成立する。観察は、区別に基づく指示である。何かを単位として参照しているときには、その裏で必ず区別が働いていて、その区別によって差異が成立している。
オートポイエーシスでは、自己参照に基づく自己再生産が、システムが存続するための条件である。そのため、自/他の区別に基づく自己参照が、システムが存続するための条件である。重要なのは、自/他の区別がついて、自の方を参照できればよいのであって、区別そのもの、差異そのものを参照する必要はないということだ。
ところで「再参入」というのはまさに、区別そのもの、差異そのものを(その区別・差異を適用して)参照、観察することである。これは別にシステムの存続の条件ではない。システムの内部でシステムを参照することと、(システム参照を可能にしている)システム/環境の差異を参照することとは異なるということに留意しよう。
『意味とシステム』では、この両者が区別できていない。222頁を境にして、そこまで「差異の再参入」と言われていたものが、「システムの再参入」と言い直されて、その結果、システム内でのシステム参照、つまり自己観察の話にすり替えられている。もちろん、それがいかにして可能かということは重要な問いだが、それは「再参入」論ではないし、両者を混同しているがゆえに、佐藤の議論では「再参入」論が展開できないようになっている。