作業メモ:『社会の社会』

Viele Merkwürdigkeiten der heute klassischen Soziologien muß man der Begrenztheit dieses Auswahlschemas zurechnen und dem Versuch, trotzdem zurechtzukommen.



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 18

この部分が、邦訳ではこうなっている。

今日から見れば、古典的な社会学には相当怪しげなところがある。すなわちわれわれから見れば当時の選択図式には限界があったという点が否応なく目に入ってくる。にもかかわらず、その試みについてはうまくいっていると見なさないわけにはいかない。



ルーマン社会の社会 1』3頁

ちょっと訳し方自由すぎじゃない? BegrenztheitもVersuchもzurechnenの目的語ですよ。古典の成功についてはこの段落の後半で触れられているけれど、ここではまだその話ではない。古典が変なのは限界があるのに無理したからだ、という趣旨の箇所。私ならこう訳す。

今日、社会学の古典になっているものにはいろいろ変なところがあるが、それは上述の選択図式に限界があったにもかかわらず、それを押し通そうとしたからだ。


もはや進歩への信頼が成り立たなくなったという事態を受け入れざるをえなくなると、今度は「いろいろコストを伴うにしても、好ましい面も展開されているはずだ」との仮定が生じてくる。構造分析がなされる際に、とりわけ社会分化や組織への依存や役割構造などが分析される際に、そのような仮定が置かれるわけである。



ルーマン社会の社会 1』4-5頁

ここはだいぶ違う。ここも訳し方が自由すぎる。ドイツ語の文法無視しすぎ。

Man hat das Ende des Fortschrittsvertrauens zu akzeptieren und ersetzt die Annahme einer bei allen Kosten positiven Entwicklung durch strukturelle Analysen, vor allem durch Analysen der sozialen Differenzierung, der Organisationsabhängigkeiten, der Rollenstrukturen.



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 19

Fortschrittsvertrauenというのとbei allen Kosten positiven Entwicklungというのは同じことでしょう? 私ならこう訳す。

進歩への信頼が成り立たなくなったことを受け入れざるをえなくなると、「どんなコストがかかろうと進んでいるのは良い方向だ」という仮定を置く代わりに、構造分析が行われるようになった。特に、社会的分化や組織への依存や役割の構造についての分析である。



ルーマン社会の社会 1』4-5頁


さらにこの理論は次の事態をも考慮していない。社会システムが認識する時、その認識は対象に依存するだけでなく、それが認識であるということからしてすでに社会的諸条件にも依存しているのである。



ルーマン社会の社会 1』7頁

こはちょっと微妙だけど、

Sie berücksichtigt nicht, daß das Erkennen sozialer Systeme nicht nur durch seinen Gegenstand, sondern auch schon als Erkennen von sozialen Bedingungen abhängt;



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 21

まず「社会システムを認識する時」でしょうね。それで、nicht nurはdurch seinen Gegenstandで、auchはschon als Erkennenでしょう。「依存する」で前置詞にdurchは使わないので。つまり、認識は社会的条件に依存するのだけど、その理由は、認識対象が社会的システムであることはもちろんのこと、認識というのがそういう条件依存性を有するものだからだという感じ。

この理論は次の事態をも考慮していない。すなわち、社会的システムを認識する際、対象が社会的システムであることに加えて、それが認識であるということですでに、社会的条件に依存するという事態である。