作業メモ:『社会の社会』

今日から見れば「認識論的障害」という概念が備えていた複雑性は、あまりにも小さかったと言える。



ルーマン社会の社会 1』10頁

いまからこの概念使うぞー!といったそばから何だよそれという感じだけど・・・

Rückblickend haben die Leitideen dieser obstacles épistémologiques zu geringe Komplexität,



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 18

ここで言っているのはその概念そのものじゃなくて、その概念の指示対象でしょう。Leitideenと複数形になっているしね。つまり伝統的な思考法のことでしょ。


典型的な打開策は、システムを構成する作動にはまったく立ち入らずに、〈変数〉の水準において一定の理論的布置を追加するというものである。しかしそうなると、その変数の選択に関してはもはやまったく理論的にコントロールできなくなってしまう。



ルーマン社会の社会 1』676頁

ちょっと意味がわからんです。追加する?

Der typische Ausweg ist es dann, auf systemkonstituierende Operationen gar nicht einzugehen, sondern Theoriekonstruktionen nur auf der Ebene von »Variablen« anzusetzen, deren Auswahl dann freilich theoretisch nicht mehr kontrollien werden kann.



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 25

nurを見落としているのか。要するに理論構築の場を変数の水準に限定する(現実についての理論でなくする)ということでしょう。本来は、現実について理論化するために変数を設定するわけだけど(だからどんな変数を設定するかは理論的に制御可能だけど)、変数の水準しか見ないということは、変数は所与で、理論構築はそれを前提にやらなくてはいけないので、制御できないという話では?


個々の人間の誕生と死によって、全体社会の重みが変わるわけでもない。



ルーマン社会の社会 1』12頁

全体社会の「重み」って?

Die Gesellschaft wiegt nicht genausoviel wie alle Menschen zusammen und ändert auch nicht mit jeder Geburt und jedem Tod ihr Gewicht.



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 26

ここは、社会は人間からできているわけじゃない、ということを言っている箇所なので、要するに一人死んだり、一人生まれたりするごとに、その人の体重の分だけ社会の総重量が減ったり増えたりするわけじゃないよ、ということを言っているのでしょう。「重み」ではそれが読み取れない。