作業メモ:『意味とシステム』

とりあえず「相互行為、組織、社会」からの引用部、

話すことは、その場にいない者を示しうる記号をその場にいる代りに用いることで、相互作用システムのなかでその場にいない者をあつかうことを、それゆえ環境という相をシステムのなかで主題化することを可能にする。 (p. 45)

というところの「話すことは」というのは誤訳ですね。SprechenじゃなくてSpracheなので、「言語は」が正しい。



同じところ。

多くの人々が同時に一つの言葉をとらえて、しつこく話しつづけるには、少なくとも理解と調整がよけいに求められ、無に帰さないよう強くせきたてられる。 (p. 45)

これはちょっとひどい。

Zumindest leiden die Verständlichkeit und die Koordinierbarkeit der Beiträge und tendieren sehr rasch gegen Null, wenn mehrere zugleich das Wort ergreifen und eigensinnig weiterreden.

das Wort ergreifenというのは「発言する」という意味だし、tendieren gegen Nullというのは「無に帰す」みたいな意味(このgegenは英語で言うとtoward)。

複数の人が同時にしゃべりだして、みんなが強引にしゃべり続けるとなると、誰が何を言っているのか、あの人が言ったこととこの人が言ったことの間にどんな関係があるのか、ちゃんと理解することは、少なくとも大変になるし、まあ、すぐにわけがわからなくなるだろう。

という感じかなあ。



細かいですが

こうした構造的な制約を操作するシステム (p. 46)

unterの見逃し。

Systeme, die unter diesen strukturellen Beschränkungen operieren,

というわけで

こうした構造的制約の下で作動するシステム

が正解。



次の箇所は、テキスト解釈上も間違っているし、経験的にも間違っている――にもかかわらず、この本の基本的発想になっていて大変なところ。

相互作用システムというつながり方はどのように作動するのか。その鍵は、主題の「線型な連続という形式」という「構造原理」にある。
これは、たんに、すでに存在する複数の主題が順々にこなされていくことではない。むしろ、こういう形式ゆえにあらゆる主題はその直前の主題と関係づけられてしまうと考えるべきである。すでに意味がきまっている主題が順々にならべられるのではなく、順々にならべられることで各主題の意味がつくられるのだ。 (p. 47)

(Thema/Beitragは、「主題/寄与」よりも「話題/発言」の方が分かりやすいので、私はそう訳す。)
まず、経験的に間違っていることは明らかだろう。佐藤が言っているのは、しゃべっている中で、前の話題と全然関係ない話題になるということは絶対にありえない、ということなんだから。んなわけねーでしょ!
もちろん佐藤が出している例、

例えば、新しい人事評価方式導入の話の後、来週の上司の引越しが話題になれば、その引越しは人事評価とのからみで意味づけられる。「結局上にごまするのが一番なんだよね」といったように。 (p. 48)

だが、そういうことはありうるが、人事評価の話題が想起されないで、安い引越し屋の話で盛り上がることだって大いにありうるし、というか、むしろ前の話題と関連付けて今の話題について話すのって、結構難しい技術が必要である(だからこそ、「お、うまくつながったな」とか言うわけだ)。
さて他方で、読解上も間違っている。引用部で、相互行為システムについてルーマンが述べているのは、大きく分けて次の三点。

  • 話題はそのつど一つだけ。
  • 発言はそのつど一人だけ。
  • 発言は話題に合ったものでないといけない。

実のところ、少なくともこの箇所では、ルーマンは「つながり方」の話なんか一言もしていない。lineare Form der Sequenzというのは、その直前に書いてあるForm des Nacheinanderの言い換えであって、「発言はそのつど一人だけ」、つまり「複数人がしゃべるなら順番に」ということでしかない。にもかかわらず佐藤はそこに「つながり方」を読み込むので、ページによって訳し方が違っていたりする――「線型な連続という形式」(p. 47)、「線型な連結という形式」(p. 48)、「線型に連続する形式」(p. 51)。
また、佐藤はこのSequenzが「主題」(話題)のものだとして論じているが、ルーマンが言っているのは「寄与」(発言)の方だ。これは当たり前で、相互行為において発言者の交替は必然的だが、話題転換は必然的ではないからだ。会って、一つの話題についてしゃべって、そのままお別れ、ということだってありうるのだから。



この本、参照しているページ数がWestdeutscher Verlagの版(旧版)なのでわかりにくいったらありゃしない。VS Verlagの方(新版)にしてほしかった。文字大きくて読みやすいし(誤植が多いという噂もあるが――lnteraktionとか書いてあるし)。