「参加者の臨在性」による相互行為システムの定義についてのメモ

「原初的な相互行為」、また「単純な社会的システム」の定義特性としては、参加者の臨在性というのを用いることにしよう。参加者とは、自分の体験や行為を、そのつどの相互行為に提供する者のこと。で、参加者が臨在しているとは、複数の参加者同士が互いに相手を知覚可能である状態のことをいう(だから一方的に知覚可能というのではだめ)。どんなものが知覚可能であるか、つまり臨在しているといえるのはどんなものか、ということを決める社会的なお約束というのもあるが、それは概念定義には入れない。システムの定義それ自体は上のようにしておいて、知覚可能性についてのお約束は、構造特性や境界定義の違いとしてみなすことにする。そうしておかないと、理論の参照枠の中で分析の対象にすることができなくなるから。というわけなので、単純なシステムの内部では、臨在しているのだけど臨在していない者として扱われたり、知覚可能なのだけど知覚不能なものとして扱われたりといったことがありうる。

Niklas Luhmann, Soziologische Aufklärung 2, "Einfache Sozialsysteme" (p. 26)

臨在性(Anwesenheit)≒知覚可能性(Wahrnehmbarkeit)の認定、したがって相互行為システムがそこにあるかどうかの認定は、参加者自身がどう認識しているかとは別に行われるという理解でいいですか。