なぜ一般システム理論の事情を優先しないといけないのか

ルーマンの理論構築の特徴は、「一般システム理論的にはこうだ。だから、社会的システム理論はこうならないといけない」という、一般理論と特殊理論の厳然とした上下関係(ヒエラルキー関係)にある。
たとえば、

  • 複雑なシステムは、要素間の関係づけに時間を用いる必要がある。
  • 時間を用いることができるためには、要素の同一性は、ある関係づけと別の関係づけの間で維持されてはならない。
  • これはつまり、要素は出来事でないといけないということだ。
  • さて、これを社会学に当てはめると、社会的システムの要素は、人間や役割ではなく、行為(のちにコミュニケイション)でなければならない、ということになる。

といった、演繹的な推論が基礎になっている。逆ではない。
その是非はともかくとして、この上下関係を採用するべき根拠、というか一般システム理論の知見が魅力的である(とルーマンに思えている)ポイントについて理解することは、ルーマンの議論を理解するために不可欠な、ほとんど出発点に近い論点だと思うが、あまり明らかにされていないように思う。
どっちかというと、社会学的知見に適合するからいいんだという、上の構成に鑑みるとアドホックと思えるような評価が大半だと思う。さてそこで・・・