作業メモ:『社会の社会』

オートポイエーシスでは、システムの要素は時点拘束的である、つまり持続を持たない(生成した瞬間に消滅する)、つまり作動である、というのがルーマンの基本発想であるが、じゃあコミュニケイションという社会的システムの要素はどの時点で生成し消滅するのかというのが気になるところ。それに関して邦訳『社会の社会』ではこうある。

コミュニケーションという作動は時点に拘束されている。したがって、情報と伝達の差異を観察することを基盤とする理解もまた時点と関わってくることになる。



ルーマン社会の社会 1』68頁

コミュニケイションが時点拘束的だから、その一成分である理解も時点拘束的だ、と述べているように見える。しかし原文では、

Die Zeitpunktgebundenheit der Operation Kommunikation bezieht sich auf den Zeitpunkt des Verstehens auf Grund der Beobachtung einer Differenz von Information und Mitteilung.



Niklas Luhmann, Die Gesellschaft der Gesellschaft, S. 72

と書いてあって、これは要するに、コミュニケイションが生成し消滅するその時点とは、理解がなされた時点である、という、かなり重要なことを明確に述べているわけだが、残念ながら訳文からは読み取れない。