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正義・最適性・機能分析

政治における正義、経済における最適性、学問における機能分析は、どれも同型。つまり、複数の関係同士のある種の関係(比較関係)として定義された合理性モデル(比較合理性)の、各領域における表現。 正義は、異なる複数の価値関係同士の比較関係。 最適…

期待の相補性

Toward a General Theory of Action: Theoretical Foundations for the Social Sciences (Social Science Classics Series)作者: Talcott Parsons出版社/メーカー: Routledge発売日: 2001/04/15メディア: ペーパーバックこの商品を含むブログ (2件) を見る …

システム理論のゼロサム

何か目的のある道具なら、性能が上がるとは、目的達成能力が高まるということ。武器なら、殺傷能力が高まることが性能の向上。 システムは前目的的、非道具的なものとして定義されている。だから、システム理論の改訂によって、システムの性能がアップしても…

システムが自己を環境から区別するということと、行為者の視点

「政治システムの社会学」(Soziologie des politischen Systems, 1968)より。 ここに社会的システムがある、といえるための必要十分条件は、そのシステムが自己を環境から区別できていることである。これはつまり、システムの環境を認識することが、科学だ…

システム合理性の定式化(1966)

「反省的メカニズム」(Reflexive Mechanismen, 1966)の最後のとこ。 我々の出発点は行為の合理性という概念だったわけだが、実はこれは反省性の一応用事例だということがわかった。となると、行為の合理性を反省的メカニズムの合理性の基礎に据えるという…

過去分詞だからといって「〜された」と訳さない

外国語の不自由を日本語に持ち込まない件再び。 パーソンズからルーマンに引き継がれた言葉にgeneralized mediaというのがあって、「一般化されたメディア」と訳されている。ところが日本語で「〜された」というと、「え、誰に?」という話になってしまう。…

英語の不自由を日本語に持ち込むな

ギデンズ用語にreflexive monitoringという言葉があって、「再帰的モニタリング」などと訳されているが、駄目な訳語の作り方の典型だと思う。普通に「反省」とすればいいのだ。男爵がわざわざmonitoringとつけているのは、reflexiveとかreflectionという英語…

Harm Principle

自由主義の基本原則は、〈自由が大事〉である。ところが、この原則と並んで、あるいは、この原則に対する但し書として、〈他者に危害を加えるな〉〈他者に危害を加えない限りで〉が付加される。両者の関係は思われているほど簡単ではない。「他者危害原則」…

「方法」と「方法論」

Studies in Social and Political Theory (University Library)作者: Anthony Giddens出版社/メーカー: HarperCollins Publishers Ltd発売日: 1979/06メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (6件) を見る第一論文「実証主義とその批判」より。 実証主…

「システムが存在する」という出発点と、(仮説演繹的ではなく)索出的なシステム理論

Soziale Systeme第1章冒頭の「システムが存在するということから出発する」の意味については、前に論じた。 さてルーマンは抽象的で現実から遊離した空論を唱える学者、というのが大方のイメージだろうが、少なくとも本人の自覚は正反対である。デビュー当時…

あるシステムの要素がそのシステム自身によって生産され、そのことによってシステムは自己を再生産する

あるシステムについて、それを構成する要素が一瞬で(あるいはある期間内に)消滅するという仮定を置けば、要素の補充をしない限りシステム自体が一瞬で(あるいはある期間内に)消滅してしまうので、この場合、「システムの要素がシステム自身によって生産…

オートポイエーシス

M&Vの定義では。 オートポイエティックマシンでは、 (1)構成素同士の相互作用と変換によって構成素の産出過程(産出関係)のネットワークが不断に再生され実現される。 (2)構成素の産出ネットワークが実現することでその位相ドメインが特定され、それに…

パーソンズによるルーマンへの言及

ルーマン教授が強調されておりましたが、人間が成長し行為する中には偶然性の要素というものが含まれております。一連の皮肉な偶然が、この報告の主題とも関わってくるように思います。悲しむべきことにマックス・ヴェーバーはその生涯を56歳で閉じました。…

二重偶然性

行為者は知識主体であると同時に認知対象でもあり、道具の利用者であると同時に自分自身が手段であり、他人に愛情を向けると同時に他人から愛情を向けられ、評価主体であると同時に評価の対象でもあり、象徴の解釈者であると同時に自分自身が象徴である。 こ…

説明と循環論法

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070715/p3 個人が共通価値に指向するから秩序ができる、という議論が循環論法だというのは、引力があるからリンゴが落ちる、という議論が循環論法だと言っているのと同じこと。 説明というのは、その完成態において、被説…

前提と含意

AがBの前提であるならば、BはAを含意する。 つまり「AはBの前提」は「BはAを含意」を含意する。 では、「BはAを含意」は「AはBの前提」を含意するか。うーん、しないような気がするけど、どうしてかなあ。

自己参照と複雑性

ルーマン先生曰く、 自己参照がパラドクスになるのは、否定の可能性が存在し、参照する自己と参照される自己のいずれかを否定することが可能であるが、自己参照のためにどちらを否定するかを決定することが不可能となる場合である。パラドクスになるというこ…

差異と境界

ルーマン先生曰く、 境界というものを抽象的に概念化してしまうと、つまり単にシステムと環境の差異が境界だと考えてしまうと、境界というのがシステムに属するものなのか環境に属するものなのかわからなくなる。論理的には、差異それ自体は第三項だからであ…

システム分化と複雑性の増大

ルーマン先生曰く、 システム分化というのは、システムの内部でもう一回システムを作ることに他ならない。システムの内部でさらにシステム/環境の差異が分出する(中略)このように、全体システムの内部でシステム/環境の差異が複製され、その結果全体シス…

システムが存在する

ルーマン先生曰く システム一般という言い方をするには、対象が持っている性質の中で、それがないとその対象をシステムと呼べなくなるようなものを見つければよい。時々その種の性質の全体を指してシステムと呼ぶこともあるが、その種の言葉遣いをしていると…

統一理論、普遍理論、自己参照理論

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070604/p2 の続き。 きちんと定義を与えれば明白である。 社会学の統一理論: どの社会学者も採用する理論 社会学の普遍理論: 社会学の対象をすべて扱える理論 社会学の自己参照理論: 社会学理論を対象として扱える理論 …

「普遍理論は自己参照理論」は一般にはいえない

ルーマン先生曰く ある理論が普遍性を自らに課しているかどうかは、その理論自身がその理論の対象となっているかどうかを調べればすぐにわかる(理論自身を対象領域から排除するということは普遍性を断念するということだからだ)。 (中略) 普遍性を自らに…

パーソンズは功利主義者じゃないよ。当然だけど。

今はどうか知らないけど、ちょっと前までは、社会学の入門書によく、 パーソンズはホッブズ問題を、価値共有を仮定することで解こうとしたけど、それをしたら問題自体がなくなるので論点先取だよ。だからパーソンズの議論は間違っているよ。 という話が載っ…

複雑性の縮減

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070423/p1 「責任者」が出てきたのでw。 「複雑性の縮減」については、現実と、一定の仮説からの演繹の間のギャップを埋めるものである点が重要です。「ほんとは」これこれこんだけの可能性があるはずなのに、「実際は」…

作動を観察するということの意味

観察というのはある種の選択。観察対象をそれ以外から切り離して(他ではなく)それに照準する。 ではその選択基準は? 学的観察の選択基準は理論であってその出発点として用いられる参照枠によって理論のあり方と観察のあり方が決まるというのがパーソンズ…

抽象と具体、一般と特殊

さっきココイチでとんかつカレーほうれん草ミックス400グラム3辛1210円というごちそうwを食べながら考えた。 「話が抽象的すぎる。もっと具体的な話をしてくれ。」というのをよく聞く(よく言われる)が、往々にしてこれは、「話が一般的すぎる。もっと特殊…

構造の二種類の機能

ターミノロジーについてはあとで確認しないといけないが―― 他人との共在、相手が自分のことを認識していることの認識、は、社会的複雑性を過剰に発生させる。ダブコンだ。このままでは作動ができないので、これは作動が可能になるために解決されるべき問題で…

構造と作動の構成関係

構造と作動が構成関係にあるというが・・・ 構成関係とは、二つ一緒じゃないと不可能だよ、ということ。しかし何が不可能であるかによって、少なくとも三つの種類を区別することができそうだ。 第一に、論理的に不可能。つまり考えることができない。 第二に…

自分の論文について弁明してみる

三谷 武司,2005,「システムが存立するとはいかなることか――ルーマン・システム理論の超越論的解釈に向けて」,『思想』970,pp. 113-129 文脈は書きませんが。 システムという対象が元々経験的なものとしては概念化されていない以上、システムが演算すると…

社会の要素は人間だって誰が言っているのか

ルーマンは「人間は社会の要素ではない」と言った(から偉い)、ってよく見るけど、社会学者で人間が社会の要素だとか言っている人がいるのだろうか。こんなの↓か。 とはいえ明示的かつ明確に人間を社会の要素としている事例もある。社会的選択理論では、 n…