複雑性の縮減

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070423/p1

 「責任者」が出てきたのでw。
 「複雑性の縮減」については、現実と、一定の仮説からの演繹の間のギャップを埋めるものである点が重要です。「ほんとは」これこれこんだけの可能性があるはずなのに、「実際は」そんな可能性は意識化していない。なぜだろう。あ、これが複雑性を縮減しているからだ。みたいな。
 なので、山奥と都市という、どちらも現実からの事例では、例示にならないわけです。都市なら都市で、都市にはいろんな人がいて、誰かわからん人と毎日接している。ほんとはコンビニでレジを打っているこいつも、俺の後ろに並んでいるこいつも、やばいやつかもしれないのに、そんなことは考えないでよくなっている。なぜだろう。あ、○○によって複雑性が縮減されているからだ。やったー!みたいな例が適切かと思います。
 ちなみに、このような「問題の発見」の仕方はパーソンズルーマンも同じです。違いは、パーソンズがそれを理論的な問題――つまり理論が解かないといけない問題――だと思ったのに対して、ルーマンはそれを実践的な問題――対象領域において実際に解かれている問題――だと考えたという点です。パーソンズの場合は、理論的に解かれることによって問題は理論の中から消滅しますが、ルーマンの場合は理論の中に、問題とその解決法がそのまま残るわけです。
パーソンズにおいて「創発特性」というのはこの問題=ギャップの存在を指す用語であり、それゆえ理論的出発点の不十分さを示す概念であることは――しばしば(特に共有規範解が論点先取だと批判する論者の間で)誤解されているので――注目に値します。)
 オートポイエシスはまたいずれ。