構造の二種類の機能

 ターミノロジーについてはあとで確認しないといけないが――
 
 他人との共在、相手が自分のことを認識していることの認識、は、社会的複雑性を過剰に発生させる。ダブコンだ。このままでは作動ができないので、これは作動が可能になるために解決されるべき問題である。
 主題の存在は、この社会的複雑性を縮減し、作動を可能にする。問題の解決。
 このように、特定のシステムの作動が可能になるには、そのシステムにおいて解決されるべき特殊な問題が発生しなければならず、かつそれが解決されなければならない。
 共在と主題はこの(こういってよければ)構造の二種類の機能に対応しているのではないか。
 でもやっぱり文献確認しないと確言はできない。でも今日はもう疲れた・・・

追記

あと、この点と関連するが、なにかをシステムとして捉えるってことはその同一性を問題化することだ、っていうルーマンが明言していて、かつ機能分析との結合にとっては死活的に重要な「システム理論を採用するワケ」についての言及がない。ルーマンは経験的記述を主目的としている、というからにはこの側面との折り合いをうまくつけてほしいと思う。

さらに追記

というかルーマンいらんのじゃないかと思う。だって、ルーマン社会学史からこれこれの課題を引き継いだ。でもやり方が良くなかった。ゴフマンやサックスはうまくやってる。ってことは、ゴフマンやサックスが社会学史からこれこれの課題を引き継いでうまくやった、っていうだけの話なのでは。システムっていう必要はどこに?