システム合理性の定式化(1966)

「反省的メカニズム」(Reflexive Mechanismen, 1966)の最後のとこ。

我々の出発点は行為の合理性という概念だったわけだが、実はこれは反省性の一応用事例だということがわかった。となると、行為の合理性を反省的メカニズムの合理性の基礎に据えるというのはいかにも無理筋な議論である。行為の合理性を反省的メカニズムとして捉えることはできても、反省的メカニズムを行為の合理性として捉えることは不可能なのだ。ではどう考えればよいのか。いまの社会学理論に、この問いに対する答えは期待できない。マックス・ヴェーバー以降、社会学理論は合理性の問題から目を背け、それは規範科学とか決定理論の仕事でしょ、と知らぬ顔を決め込んできたからである。もう紙幅が尽きたので、ここでこの懸隔を埋めてしまうというのはちょっと無理だが、でも少しだけ触れておこう。答えの可能性は実は、反省的メカニズムという現象を論じるのに用いた、「複雑性」とか「システム」といった概念に、すでに示唆されているのである。それでいくと、機能の観点からいえば、最高度の複雑性をもった世界との関係において、人間の複雑性吸収能力が増大すること、これが合理的ということである。また構造の観点からいうと、過剰に複雑な世界の中で生きていかざるを得ない人間が、それでも生活を維持していけるようにシステムが安定していること、これが合理的ということである。

Soziologische Aufklaerung 1: Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme

Soziologische Aufklaerung 1: Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme