英語の不自由を日本語に持ち込むな

ギデンズ用語にreflexive monitoringという言葉があって、「再帰的モニタリング」などと訳されているが、駄目な訳語の作り方の典型だと思う。普通に「反省」とすればいいのだ。男爵がわざわざmonitoringとつけているのは、reflexiveとかreflectionという英語は「反射」とか「反映」みたいな意味が強く、男爵が強調したい、行為者自身が自分の行為の意味を理解しつつ行う、というニュアンスがうまく出ないからでしかない。「見る」という主体的要素を明確にしたいわけだ。他方で、「反省」には「かえりみる」がすでに含まれておりこの一語で主体性を示すことができる。光は(「反射」はしても)「反省」したりはしないのである。「再帰的モニタリング」というのは、英語の不自由を日本語に無駄に持ち込んで、しかも意味を不明確にするという害しかなしていないという意味で、実に駄目な訳語である。
繰り返すが、英語(外国語)の不自由を日本語に持ち込むな!というのは、訳者がつねに注意すべき誡めだと強調しておきたい。