二重偶然性

行為者は知識主体であると同時に認知対象でもあり、道具の利用者であると同時に自分自身が手段であり、他人に愛情を向けると同時に他人から愛情を向けられ、評価主体であると同時に評価の対象でもあり、象徴の解釈者であると同時に自分自身が象徴である。
 これらの前提から、相互行為の二重偶然性という基本命題が演繹される。一つの行動単位として見たとき、行為者が目標を達成できるかどうかは、環境にある諸対象をうまく認知し操作することができるかどうかによって変わってくる。これは動物にも人間にも同様に言えることである。しかし、相互行為に登場する最も重要な対象というのはそれ自体が行為者であるから、目標達成は相手側の行為者がどんな行為をするか、どんな介入をするかによっても変わってくるのである。おそらくこの二重偶然性の含意を最も洗練された形で分析しているのがゲーム理論だろう。もちろん、相互行為に参加する単位の数が増えると、その分だけ偶然性の係数も増えていく。(Talcott Parsons, 1968, "Social Interaction," in: David L. Sills (ed.), International Encyclopedia of Social Sciences 7, pp. 429-441 (436))

 わかること。偶然性(contingency)というのは、目標達成が確実・必然ではないことをいう。この目標達成は一人の行為者にとってのものであるから、偶然性というのも一人の行為者にとってのものである。二人でする相互行為、たとえばキャッチボールを考えると、これがうまくいくには、自分がボールをちゃんと見てちゃんと受けないといけない。これに失敗するとキャッチボールがうまくいかない。これが第一の偶然性。加えて、相手がちゃんと投げてくれないと受けられない。これが第二の偶然性。合わせて二重偶然性。じゃあ三人で三角形でキャッチボールをするときは?ちゃんと投げてくれないといけない人が一人増えただけなので、三重偶然性。四人なら四重偶然性。n人ならn重偶然性。
 もっと複雑ではないのかという異論がありうる。n人ならn重偶然性がn人それぞれにあるのだから、「nのn乗」重ではないのかなど。そういう考え方はできるが、Parsonsの偶然性の概念化ではそうはならない。その考え方では、二人の時にすでに四重(あるいはそれ以上)になっていないとおかしい。二人の時に二重である以上、n人でもn重と考えるのが正しい。