オートポイエーシス

M&Vの定義では。

オートポイエティックマシンでは、
(1)構成素同士の相互作用と変換によって構成素の産出過程(産出関係)のネットワークが不断に再生され実現される。
(2)構成素の産出ネットワークが実現することでその位相ドメインが特定され、それによって構成素が存在するのと同じ空間の中に、オートポイエティックマシン自体が一つの具体的な単位として構成される。
オートポイエティックマシンとは、このような構成素の産出過程(変換・破壊過程)のネットワークとして組織された(つまり一つの単位として定義された)機械のことである。

まあ機械だから何かを作る機械なわけだが、ずっと製造し続けてないと機械としても存続できないよ、スイッチ切ったら機械自体がなくなっちゃうよと。で、どんな製品を作っているかというと、同じ製品の生産に利用されるものだよ、と。なんかそれだけな気がするけどなあ。
ただそれは、「ネットワークがある」とか、「産出物がネットワークの一部である(構成素である)」といったことの中身を問わない形式的な議論だとそうだということにすぎないので、それらの意味を特定しなければならない。
ところが少なくとも社会学では、それこそが理論的な解決を要している問題なのであるから、さしあたり確言できることとして、オートポイエーシス理論は社会学の根本問題の解決には何の役にも立たず、逆にこの問題が解決されない限り社会学オートポイエーシス理論も内容のない空疎なものにとどまらざるを得ない。(つまりオートポイエーシス理論で社会学の問題を解決することはできないということ。)
Soziale Systemeという本は、オートポイエーシス理論を社会的システムに応用できるようにするような形での、社会学の根本問題の解決が載っている本だ。社会的というのは複数の人間が関わるという意味だが、この条件下で、「複数集まってネットワークを構成する産出過程(によって産出されるもの)」が存在するかどうか、存在するとしたらどのように概念化できるか、ということが一冊の本としての課題。
とりあえずここまで。