作動を観察するということの意味

 観察というのはある種の選択。観察対象をそれ以外から切り離して(他ではなく)それに照準する。
 ではその選択基準は?
 学的観察の選択基準は理論であってその出発点として用いられる参照枠によって理論のあり方と観察のあり方が決まるというのがパーソンズの発想。行為の参照枠で物事を考えるから行為理論になる。あらゆる観察がこの種の学的構築物であることを自覚した上で、それを対象領域に投影する認識論が分析的実在論
 ルーマンはこれを拒否して、学的観察が依拠すべき選択基準自体を対象領域に求める。そのためには、採用されるべき選択基準が対象領域で実際に用いられていなければならない。つまり対象が選択していないといけない。さてシステムの作動は選択である。システム内で一単位として用いられるものはシステム自身が一単位として構成しなければならない、という要請は、すべての単位は作動による選択によって生じるものだということであって、要するに観察におけるすべての単位画定が、対象領域での選択によるものであることを求めている。
 もし作動(システムによる選択)を観察することができるなら、対象であるシステムが作動において実際に用いている選択基準を学的観察者も用いることができる。そうして初めて分析的実在論をとらなくてすむようになる。ルーマンの理論構築におけるシステムの性能要請は、このようにある種の認識論的要請に由来している。
 次には、ではそれは何のためか?・・・と考えないといけない。