ハエに「自発的意志」 米独研究チームが計測実験
http://www.asahi.com/science/update/0517/JJT200705170008.html
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007051700594
昆虫の行動は外部からの刺激だけによって決定されているわけではなく、例えばハエには特殊な「自発的で自由な意志」があると推論されるとの実験結果を米独の研究チームが16日、発表した。
実験は、ベルリン自由大学のビヨルン・ブレムプス氏らがショウジョウバエを使って行ったもので、ハエが外部の刺激に反応して行動するだけの「入力・出力装置」とみなす仮説が妥当かどうかを検証した。
オンライン科学・医学誌プロス・ワンに掲載された論文によれば、実験では、体の動きをコンピューターでデータ化する装置にショウジョウバエを入れて頭を固定。装置の内部はむらのない白色にし、ハエが視覚刺激を受けない環境をつくった。その結果、ハエは視覚刺激を受けていないにもかかわらず、羽や脚を激しく動かした。
その運動をコンピューターで解析したところ、極めて複雑ながら一定のパターンを持っており、研究チームは「ハエも自発的意志のための脳内メカニズムを持っていると考えられる」とした。(時事)
なんでこういう記事って、オンラインで原論文が読めるのにリンク張らないんだろうか。
で、原論文なのだがタイトルが「Order in Spontaneous Behavior(自発的行動における秩序)」。おい!自発的意志なんて書いてないぞ。
↓著者による論文の要約(訳は結構適当)。
普通、脳というのは入力/出力システムだといわれる。つまり脳というのは感覚入力を運動出力に変換するシステムだといわれている。しかし、感覚の入力条件が同一の場合でも、脳の運動出力(つまり行動)はものすごく多様な形をとるものである。この行動に表れる多様性が、単に外界のランダムノイズを反映しただけのもので、やっぱり脳は決定論的なシステムであるといえるのか、それとも脳内部に環境適応のための不確定性生成機構があるのか、という問題は、脳機能の基本的理解にとって非常に重要である。我々はショウジョウバエを固定してその自発的な飛行運動を一定時間観測し、その構造に(レヴィ飛行に似た)フラクタル秩序があることを発見した。レヴィ的な確率論的行動パターンは進化の過程で保存されたものであり、このパターンが見られるということは、自発的行動の基礎となる一般的な神経機構の存在を示す。ショウジョウバエはこの種の行動パターンを、外界からの刺戟がまったくなくとも産出することができる。ハエの行動は、非線形システムとして作動する脳回路によって制御されているのであり、このシステムは均衡とは程遠い不安定な動学的過程にある。以上の発見が示すのは、生物の脳や、それよりも高機能な主体について現実的なシミュレーションを行おうとするのであれば、脳機能や自律的主体の一般モデルの中に、生物学的な基礎を持った非線形的で内生的な行動生成機構を組み込んでやる必要があるということである。
意志の話でてこねー!
著者のサイトに載っているプレスリリースでは「自由意志(free will)」の話が出てくるが、結構慎重だ。
スギハラ(著者の一人)は言う。「このような軌跡を描くということは、進化の結果、ハエの脳内に自発的な行動変動を発生させる機能が備わっているということです。この機能は他の動物にも多く見られるもので、我々が自由意志として体験しているものの生物学的基礎を形成している可能性があります。」
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「この非線形の軌跡によって、ハエの自発的な方向転換行動について、自由意志と対立する二つの説明が消えます。完全なランダム性と、純粋な決定論の二つです。この二つは脳機能論の両極端を示していると同時に、自由意志論の両極端をも示しています。」とスギハラは述べる。ビョルン・ブレンプスは次のように付け加える。「『自由意志』という我々の主観的観念は本質的に矛盾した言葉です。完全にランダムだったら『意志』ではないですし、完全に決定されていたら『自由』ではありません。」
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「我々の得た結果は、単純な決定論と単純なランダム性の中間に位置するものであり、この領域がどんなものなのかまだよくわかっていません。もし自由意志が存在するなら、この中間領域にあるはずだと思います。」スギハラはこう結論する。ブレンプスは次のように述べる。「我々は自由意志を持っているのか、それとも持っていないのか、というのは問題の立て方が間違っていると思います。そう問うのではなく、『偶然と必然の間のどこに我々はいるのか』と問うならば、その位置の違いこそが、人間と動物の違いだということがわかるでしょう。」
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ブレンプスのブログからリンクされているmsnの記事だと、もっと慎重だ。
マドリード独立大学の神経学者Gonzalo de Polaviejaは、ハエに関する以上の発見が示しているのは「行動の基礎に複雑な決定過程が存在することです。これは自由意志の必要条件だと思われます。」と述べる。
ブレンプスはハエが自由意志それ自体を持っているとは考えていない。彼はまた、自分たちの研究成果は、人間その他に自由意志が存在することを示すものではないと強調する。「我々が示したのは、脳には自由意志の基礎となりうるような能力がある可能性があるということに過ぎません。」
というわけで、朝日(というか時事通信)は、ちゃんとした研究をあたかもトンデモであるかのように紹介していてひどい。
追記
Brembsのブログでフォローが。きちんと訳せているかどうか心許ないので誤訳に気づいた方はご指摘ください。
考えてみた: 自由意志? トンデモ?
当たり前だが、原論文では自由意志の話は全然していない。だいたい自由意志なんてものは科学的な概念じゃないんだから。でも、我々がおおよそ決定論的だと思っているこの大宇宙の中で、しかし主観的に経験される自由意志というものにとって、ハエにも自発性があるという知見は果たしてどんな意味をもつだろうか。今回の発見でこんなことを考えてみたくなったのもまた事実。それでプレスリリースにはアイロニーを込めて「ショウジョウバエは自由意志を持つか?」というタイトルをつけた。もちろんメディアの中には、このタイトルから疑問符を落としたところがある。疑問文は売り物にならないというわけ。何人かのジャーナリストから聞いた話では、編集部から、まさにそういう理由で自由意志の話を強調しろと言われたらしい。
まあそれはともかくとして。以下は我々の得た結果について、私が個人的に〈考えてみたこと〉だ。
前に述べたように、どうしてこんなに多くの脳が、でたらめな行動出力を意図的に行っているかのような働きをするのか、というのは興味深い問題だ。議論を単純にするために、脳の自発性機能は非線形のノイズ増幅器として働くということにしよう。おそらく(というか普通は)脳というのはもっとはるかに複雑なものなんだが、最初に言ったとおり、これはちょっと考えてみているだけなんだから勘弁してくれ。さてここまでなら、よく言われる天気とのアナロジーが成り立つ。でも、脳の中のどこでこの増幅器が作動しているのか、どの程度の自由度があるか、という段になると、話は天気の場合とは違ってくる。遺伝子とか歴史とか状況によって制御される可能性があるからだ。個人の特質というものは、現在の状況、遺伝的組成、生まれてから現在までの個人史が与えられれば明確に定義することができる。これは明らかだ。言い換えると、君の脳の状態、つまりノイズの増幅が脳内のどこでいつどの程度行われるかということは、君の個人的特質によって決まる。これは結構。ところが一方、精神療法に効果があるというのも事実。これは言い換えると、思考が脳内の化学反応に影響を及ぼすということだ(思考というのが脳の活動である以上、これはほとんど自明なことだと思う)。というわけで、君の行う行為は、君の個人的特質と、君の思考によって決まる。結構結構。でもこれだけでは普通「自由意志」といわれているものにはまだ程遠い。
自分の行為を決めているのが自分である、つまり自分の精神、自分の思考である、という非常に強い印象を我々は持っている。それが「自由意志」ということだ。しかしなぜ、このような印象を持つことができるのか。どのようにしてそれが可能になっているのか。さてこの問いに、前段までの話はどうかかわってくるか。ここで登場するのが私の専門であるオペラント条件づけなのだ。私の仮説はこうだ。この自発性の印象があることの進化上の一つの利点として、ごちゃ混ぜに入ってくる感覚刺戟の中から自分の行為の結果であるものとそうでないものをよりわけることが可能になるということがあるのではないか(今の職を退職したあと別のところに就職できてまた研究費が取れたらこの仮説を検証したいと思っているが、まあまず無理だろう)。実はこれは仮説としてはだいぶん昔からあるもので、私が生まれる何十年も前から唱えられているのだが、まだ解決されていないのだ。この仮説でいくと、(人間の場合なら個人的特質とそのつどの思考によって決まる)自発性の存在する理由は、自分の行為に自分の行為であるという意味を与えることだということになる。これは非常に重要な、いや不可欠な機能である(なぜかわからない人は自分の体をくすぐってみてくれ)。この機能がうまく働かないと、鬱病から境界性人格障碍やADHDなどなど、様々な精神疾患が表れる可能性がある(この件の重要性についてもっと知りたい人はここを読んでくれ)。
まとめよう。我々が発見した脳機能は、人間にも存在する。これには十分な証拠がある。さて人間の場合、この機能のパラメータを決めるのは個人的特質とそのつどの思考であり、この機能によって自分の行為を自分の行為として認めることができるようになり、その結果、(「再帰」的な)フィードバックと「外来」の刺戟を区別することができるようになる。この機能のために、進化の過程で、我々誰もが経験している「自由意志」という強力な主観的観念が発生したという可能性は十分にある。以上が私の考えである。どうだろう。人間よりも単純な動物を調べて、この脳機能の元になった原始形態を探すという研究はなかなか面白い(し、人間のそれを調べるのよりは簡単だ)と思うのだが、どうだろう。