刑法:法律主義と慣習刑法の排斥  司法書士試験過去問解説(平成9年度・憲法・第23問)




平成9年度司法書士試験(刑法)より。設問の全体は、刑法:罪刑法定主義

  •   法律主義からは慣習刑法の排斥が導き出され,構成要件の内容の解釈や違法性の判断に当たって慣習法を考慮することは許されない。


罪刑法定主義の根幹をなす法律主義については、刑法:法律主義と民主主義で解説しました。何が罪であり、その罪に対してどのような罰が科されるかは、法律で定めなければならない、というのが法律主義です。そして、刑罰を定めている法律が、刑法なわけです。
たとえば、殺人罪は刑法199条で定められています。

  • 199条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

殺人が犯罪であり、殺人者が死刑になったり、無期懲役刑になったり、5年以上の有期懲役刑を科せられたりするのは、この刑法199条があるからであって、199条がなければ殺人は犯罪ではなく刑罰も科せられない、というのが法律主義の要請です。
あるいは、もう少しいうと、裁判官が判決で被告人に殺人罪で死刑を言い渡すときには、必ずこの刑法199条を適用しなければいけない、ということであり、適用すべき条文が刑法の中にないのに被告人を有罪として、刑罰を科すことは許されないということです。このことを別の面からいえば、「慣習刑法の排斥」ということになります。



ところで、刑法の条文で犯罪として定められている行為というのは、非常に抽象的で一般的な行為の「類型」でしかありません。199条だと「人を殺す」と書いてあるだけです。それに対して、現実に起こる事件は、具体的、つまり一つ一つが千差万別で、二つとして同じ事件はありません。現実の行為に対して刑法199条を適用し、それが殺人という犯罪だと判断するためには、その現実の具体的な行為が、「人を殺す」という行為類型に該当するという判断がまず必要です。
そのために、「人を殺す」という行為類型に該当するためには、現実になされる具体的な行為が、どんな性質を帯びている必要があるかが決まっていなければなりません。これを、犯罪の「構成要件」といいます。199条を見ればわかるとおり、構成要件それ自体は条文には書いていませんから、何が構成要件であるかは、条文の「解釈」によるしかありません。
この「解釈」は、あたりまえですが、条文から自動的に導かれるわけではありません(自動的に導かれるのであれば「解釈」とは言いませんよね)。ということは、解釈の根拠はその法律(に書いてあること)以外のどっかからもってこないといけないということで、つまり、罪刑法定主義、法律主義といっても、条文の解釈まで法律で決めろと言っているわけではないのです。
もう一つ例を出すと、刑法174条は公然猥褻罪を定めています。

  • 174条  公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

199条と較べてさらに抽象的で曖昧な表現になっていますね。「猥褻(わいせつ)」といったって、何が猥褻なのかは、そんなに明確に決められるものなのか難しいところです。少なくとも、この条文を読んだだけではわかりません。つまり、公然猥褻罪の構成要件についても、「解釈」が必要なわけです。その際には、解釈の対象である法律は解釈の根拠にはなりえず、結局、社会通念とか(についての裁判官の判断)によるしかないわけです。なので、ここには、慣習法の参照ということも入ってきておかしくないはずです。



現実になされた具体的な行為が、犯罪の構成要件に該当すると判断されても、それは、その行為が「犯罪」であると判断されるための第一歩にすぎません。さらに、その行為に「違法性」があり、行為主体が「有責」でなければなりません。選択肢の文に沿って、違法性の話だけすることにしましょう。
刑法は何が犯罪かを類型的に定めたものですので、基本的にはその行為類型が「違法」なものであることを主張しています。しかし、たとえば「人を殺した」けれど正当防衛だった、とかの場合がありえます。そういう場合は「違法ではない」ということになります。つまり、特に事情がない場合は、構成要件に該当したことをもって「違法性」が「推定」されますが、特段の事情がある場合はそうやって「推定」された違法性が「阻却」されます。違法性を阻却するための事情のことを「違法性阻却事由」といいますが、有罪判決に向けての次の一歩として、裁判官は「違法性阻却事由がない」ことを確認することで「違法性がある」という判断を下さなければなりません。
正当防衛の場合は、これは違法性阻却事由であることが刑法36条で明記されています。

  • 36条1項  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。

しかし、ここでもやはり、現実に起こる具体的な事件に、「急迫不正の侵害」とか「自己又は他人の権利の防衛」といったことが含まれているかどうかについては、たとえば「急迫不正の侵害」とはどんなことなのかについての「解釈」が必要であって、この水準では罪刑法定主義は使えません。さらに、刑法が想定していないけれども、社会通念上、「そりゃしょうがないだろう」と思われるようなこともあるかもしれません。その場合は、明文の規定がなくてもその事情を違法性阻却事由として採用すべきだといえるでしょう。
いずれにしても、違法性については、それが基本的に「推定」されるものであり、違法性を判断するということは「阻却事由がない」ことを確認するということなわけですから、そこにおいては、慣習法を参照して、明文規定のない阻却事由を採用しても、被告人に不利益にはなりません。罪刑法定主義が国家権力から個人を護るためのものである以上、特に違法性の判断においては、慣習法その他の「法定」でない事柄を参照することは、罪刑法定主義(法律主義)によって排除されてはいないということになります。



というわけで、罪刑法定主義(法律主義)が求めているのは、刑罰を科すときには刑法の条文を適用しろ、ということにすぎなくて、条文適用にあたって不可欠の、「解釈」の水準では、慣習法を考慮することは許されるということです。
したがって、選択肢ウは間違いです。



刑法
法律主義は,裁判所による法適用との関係でも問題となる。すなわち,裁判所は,罰則を適用することなく処罰することは許されないのであり(判例法,慣習法による処罰の否定),(略)



山口厚 『刑法』 11頁