刑法:類推適用と拡張解釈  司法書士試験過去問解説(平成9年度・憲法・第23問)




平成9年度司法書士試験(刑法)より。設問の全体は、刑法:罪刑法定主義

  •   法律主義及び事後法の禁止から類推解釈の禁止が導き出され,被告人にとって利益,不利益を問わず,法律が規定していない事項について類似の法文を適用することは許されない。


法律主義とは、刑罰を科すには刑法の条文の適用が必要だということであり、憲法31条で保障されています(詳しくは、刑法:法律主義と民主主義)。

  • 31条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

事後法の禁止とは、行為時点で刑罰の対象でなかった行為を、あとから刑法改正等で刑罰の対象として罰することの禁止です。遡及処罰の禁止とも言います。これは憲法39条で保障されています(詳しくは、事後法(遡及処罰)の禁止と自由主義)。

  • 39条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。



ところで、刑法の条文を適用するといっても、そこで規定されているのは、「人を殺した者は」とか、「公然とわいせつな行為をした者は」といった、非常に抽象的で一般的な行為の「類型」でしかありません。現実になされる具体的な行為が、この行為類型にあてはまるかどうかを判断する際には、現実の行為がどんな性質をもっていれば、刑法が犯罪として規定している行為類型にあてはまるのかという条件が定まっていなければなりません。この条件のことを「構成要件」といい、現実の行為が処罰の対象であるためには、この構成要件該当性が必要です(詳しくは、刑法:法律主義と慣習刑法の排斥)。
さて、構成要件というのは刑法の条文に書いてあるわけではありませんから、これは条文の「解釈」です。この解釈は、条文の言葉の日常的な、常識的な解釈の範囲内であれば、特に問題は生じませんが、微妙な場合も起こりえます。
たとえば、日本の刑法は、明治40年を境に、旧刑法と現行の刑法に分かれますが、旧刑法では、窃盗罪が次のように規定されていました。

  • 366条  人ノ所有物ヲ竊取シタル者ハ竊盗ノ罪ト爲シ二月以上四年以下ノ重禁錮ニ處ス

ここで、普通に「物」という言葉で想像する範囲のものが盗まれている限りでは、特に問題は生じず、盗んだ人はこの366条を適用されて刑罰を科されるわけですが、電線から勝手に電気を引いて使った、いわゆる「電気泥棒」が見つかった場合はどうでしょう。電気は「物」でしょうか。微妙です。
この事件について、裁判官が、電気泥棒も窃盗罪で処罰すべきだと考えた場合、理屈のつけ方としては二通りあります。
一つは、電気は日常用語では「物」ではないけれど、刑法的には「物」に入るんだ、と「物」という条文の言葉を、日常用語よりも広く解釈する方法です。これを拡張解釈とか拡大解釈といいます。この場合、電気泥棒であっても、「人ノ所有物ヲ窃取シタル者」だということになりますから、366条が適用されて有罪となり、「二月以上四年以下ノ重禁錮」が科されることになります。
もう一つの方法は、やっぱり電気は「物」とはいえないよね、と認めた上で、でも、「物」を盗むことが犯罪とされているのだから、電気を盗むことも犯罪とされてしかるべきでしょ、という理屈で、本当は366条は適用できないんだけど、ちょっと無理に適用して有罪にして処罰する、という方法です。(設問の選択肢は「類推解釈」と書いていますが、条文の解釈としては通常通りであって、適用の仕方が類推的なだけなので、「類推適用」というべきかと思います。)
上の電気泥棒の事件で、明治36年大審院は次のように判断しました(判決要旨)。

電流ハ有體物に非サルモ五官ノ作用ニ依リ其存在ヲ認識スルコトヲ得ヘキモノニシテ之ヲ容器ニ収容シテ獨立ノ存在ヲ有セシムルコトヲ得從テ他人ノ所持スル電流ヲ不法ニ奪取シテ之ヲ自己ノ所持内に置キタル者ハ刑法第三百六十六條ニ所謂他人ノ所有物ヲ竊取シタルモノトス



電流は有体物ではないが、五官の作用によってその存在を認識することができるものであり、また容器に収容して独立に存在させることができるものであるから、他人の電流を不法に奪取して、それを自己の所持内に置いた者は、刑法366条で言う他人の所有物を窃取したものとする

つまり「物」というと普通は「有体物」だけど、旧刑法366条でいう「物」には電気も含まれるよ、という拡張解釈をしたうえで、刑法366条を適用しているわけです。刑法の条文を適用しているわけですから、法律主義の要請には従っていると考えることができます。
これに対して、類推適用の場合は、法律で定められている犯罪行為の構成要件に該当せず、それゆえ本当は適用できないことを前提に、それでも無理に適用しようということですから、ある意味で、裁判官が法律をつくっているようなものです。これは、唯一の立法機関である国会がつくった法律によらなければ処罰はできないという法律主義の精神に反するものですし、裁判官が出てくるのはつねにその行為の終わったあとですから、あとづけの立法で処罰していることになり、遡及処罰禁止にも反することになります。
つまり、法律主義からも遡及処罰(事後法)禁止からも、類推適用は禁止されるわけです。



なお、明治40年の刑法改正で、窃盗罪の条文は次のように改められました(条文は、平成7年の口語化後のもの)。

  • 235条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

そして、先の判決を受けて、ここでいう「財物」に電気が入ることを条文で明記しました。

  • 245条  この章の罪については、電気は、財物とみなす。


さて、それで選択肢オですが、

  •   法律主義及び事後法の禁止から類推解釈の禁止が導き出され,被告人にとって利益,不利益を問わず,法律が規定していない事項について類似の法文を適用することは許されない。

「被告人にとって利益,不利益を問わず」と書いてあります。ここがこの選択肢のポイントです。罪刑法定主義(法律主義・遡及処罰禁止)は被告人の利益を守るためのものですから、被告人にとって有利になる場合は、類推も許されると考えるべきです。それゆえ選択肢オは間違いです。



刑法
刑法の解釈として,拡張解釈は許されるが類推解釈は許されないと一般に解されている。それは,類推解釈は,裁判所による(事後的)立法であり,法律主義(及び事後法の禁止)に違反して,罪刑法定主義に反し許されないためである。許容されうる拡張解釈と許されない類推解釈の相違は,結論を正当化する論理の違いにある。拡張解釈は,処罰の対象となっている行為の概念を拡張的に画定し,その概念の中に当該事例を取り込んで,処罰範囲に含めるものである(もっとも,これも無限に許容されるわけではなく,法文の文言の枠内において理解しうるものであることが必要である)。(略)これに対し,類推解釈は,問題となる行為が,罰則による処罰の対象に含まれないことを認めつつ,それにもかかわらず,処罰の対象となっている行為と害悪性において同等であることを理由に,処罰の対象とするものである。この論理の前半部分で当該の行為が処罰の対象となっていないことを認めるのであるから,それにもかかわらずそれを処罰の対象とすることは「結論を正当化する論理として」罪刑法定主義に反して許されないことになる。



山口厚 『刑法』 11-12頁