刑法:一事不再理と二重の危険の禁止  司法書士試験過去問解説(昭和63年度・憲法・第24問)




昭和63年度司法書士試験(刑法)より。設問の全体は、刑法:罪刑法定主義

  • 3  すでに無罪とされた行為について重ねて刑事上の責任を問わないのは,罪刑法定主義の要請である。





憲法 第四版
憲法39条は(略)「何人も、……既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と定めている。
この前段と後段の関係については、(1)両者をあわせて英米法で言う「二重の危険」(double jeopardy)の禁止の原則を定めたのか、(2)両者はともに大陸法的な刑事裁判における「一事不再理」の原則を定めたのか、あるいは、(3)前段は一事不再理、後段は二重処罰の禁止を定めたのか、規定が不備なため見解が分かれているがいずれの説をとっても、結論に大きな相違が生ずることはない。
たとえば、(1)説をとった場合、英米法では、原則として、下級審の無罪または有罪の判決に対して検察官が上訴し、有罪またはより重い刑の判決を求めることは「二重の危険」の原則に反することになるが、前段の「既に無罪とされた行為」とは無罪判決が確定した行為の意であるから、「危険とは、同一の事件においては、訴訟手続の開始から終末に至るまでの一つの継続的状態と見る」(略)立場をとることも許されると解すべく(略)、そう解すれば、検察官の上訴も、「被告人を二重の危険に曝すものでもなく、従ってまた憲法39条に違反して重ねて刑事上の責任を問うたものでもない」(略)と言える。したがって、(1)説と言っても、(2)説に著しく近いことになる(略)。



芦部信喜 『憲法 第四版』 239-240頁

憲法〈1〉
39条前段後半と後段は、二重の危険の発想と一事不再理の発想を混在させており、いずれの発想を基礎に解釈するかにより、異なった理解に到達する可能性を秘めている。
一事不再理というのは、文字どおりにいえば、同一の事件は、一度審理し終えたならば、再度審理することはないという原則である。大陸法において、この原則は、判決の既判力と結びつけて理解されてきた。実体判決は、いったん確定すると、その判断内容が真実とみなされ、もはや争うことが許されなくなる。それが、実体判決の既判力といわれるものである。既判力が生じると、その反射的効として、同一の事件を裁判所に提訴することが許されなくなる。既判力が、後訴を遮断するのである。この効果をさして、一事不再理といわれる。既判力の制度、したがって、一事不再理の制度は、裁判制度そのものに内在する要請である。ゆえに、一事不再理の原則は、裁判制度が存在する以上、理論上当然に要請されるものであり、憲法上特別の条文を必要とするものではない。だからこそ、特別の規定が存在しなかった明治憲法下でも、一事不再理は、理論上承認されていたのである。
これに対し、二重の危険の禁止は、被告人の権利保護を直接の目的としている。被告の座に立たされるということは、物質的にも心理的にも大変な負担を意味する。刑罰の不安におののき、裁判に時間をとられ、経済的に追いつめられ、社会的制裁を受けながら、裁判の重圧に耐えねばならない。しかし、国家としては、秩序を保つために、犯罪を犯したと確信する者に対し訴追しないわけにはいかない。ここに、個人の利益と公益とが対立し、そのバランスとして、国家に一度だけは訴追を認め、再度同じ負担を負わせられることのない権利を被告人に保障しようとするのが、二重の危険の防止なのである。この考えは、イギリスのコモン・ローにおいて形成されたが、アメリカは、この制度を継受して、人権規定の中に取り入れた。連邦憲法修正5条において、「何人も、同一の犯罪につき重ねて生命身体の危険(jeopardy)にさらされることはない」と規定されている。
(以下略)



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 429-430頁

憲法
39条前段後半(A)の「既に無罪とされた行為」の処罰禁止規定と、同条後段(B)の「同一犯罪」の二重処罰禁止規定の関係については、立法過程での混乱を反映して、解釈上も学説が複雑に分かれている(総司令部案では合衆国憲法上の「二重の危険」の禁止に沿って「何人モ同一ノ犯罪ニ因リ再度厄ニ遭フコト無カルベシ」とされていたが、3月2日案で「一事不再理」原則に修正され、改正草案要綱で「既に無罪とされた行為」に再変更後、総司令部の意向によって後段を追加して成立した)。学説は、これらの(A)・(B)の規定を、ともに「二重の危険」の禁止として捉える第1説(略)、ともに「一事不再理」として捉える第2説(略)、Aを「一事不再理」、Bを「二重処罰の禁止」として捉える第3説(略)が鼎立している。近時は、適正手続主義の立場から被告人の利益を重視する第1説が有力であるようにみえるが、いずれの説をとっても結論に大きな相違は生じないと指摘される(略)。
判例は、検察官上訴に関連して、「一事不再理の原則は、何人も同じ犯行について、二度以上罪の有無に関する裁判を受け危険にさらされるべきものではないという根本思想に基くことは言うをまたぬ」とし、また、「二重の危険」に言及しつつも、「その危険とは、同一の事件においては、訴訟手続の開始から終末に至るまでの一つの継続的状態と見る」という立場を示したもの(略)などがある。



辻村みよ子 『憲法 第3版』 289-290頁

憲法 (新法学ライブラリ)
さらに,同条前段の後半部分および後段は,何人も,「既に無罪とされた行為については,刑事上の責任を問はれない。又,同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」とする。この前段後半部分と後段との関係については,(1)いずれも大陸法でいう「一事不再理」の原則を定めたもので,無罪判決にせよ有罪判決にせよ,判決が確定した以上は,同一の犯罪について再び刑事上の責任を問われることはないことを定めたものとする説と,(2)両者をあわせて,英米法でいう「二重の危険( double jeopardy )の禁止」の原則を定めたものとする説がある。
本条が二重の危険の原則を定めているとすると,たとえば下級審の無罪判決に対して検察官が上訴することやより重い刑を求めて上訴することは,本条に反することになる疑いがあるが,判例は,同一の事件では,「危険」は「訴訟手続の開始から終末に至るまでの一つの継続的状態」と解するため,判決が確定しない状態ではなお危険は終了しておらず,したがって検察官の上訴も二重の危険の原則には反しないとする(略)。このような「危険」の解釈からすれば,二重の危険の禁止と一事不再理とはほとんど同一に帰することとなろう。裁判員制度が実施されたおりには,この解釈は再検討される可能性がある。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 271-272頁

憲法
憲法39条前段後文は,「何人も……既に無罪とされた行為については,刑事上の責任を問はれない」とし,同条後段は,「又,同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」とする。
両者の関係につき,両者あわせてコモン・ロー上の二重の危険( double jeopardy )の禁止を定めたとする説(二重の危険説),両者はともに大陸法的な刑事裁判における「一事不再理」の原則を定めたとする説(一事不再理説),前段後文は一事不再理,後段は二重処罰の禁止を定めたとする説(一事不再理・二重処罰禁止説)などに分かれる。
二重の危険は,「何人も2度にわたり苦しめられてはならない( Nemo dedet bis vexari )」とするコモン・ロー上の原則で,アメリカ合衆国憲法第5修正は,「何人も,同一の犯罪について重ねて生命または身体の危険にさらされることはない」と定める。判決が確定する前であっても,同一の犯罪につき重ねて手続を開始することは被告人を二重の危険にさらすことになり,検察官の上訴は原則として許されないとされる。
これに対して,一事不再理は,一度事件が裁判において決着をみた以上,再度蒸し返すことを禁止するもので,個々の裁判の効力としての既判力の制度的表現である。刑事裁判では,有罪・無罪の実体判決または免訴の判決が確定した場合には,同一事件について再び審理することを許さないとするにとどまるので,上訴期間内における検察官の上訴も許されることになる。二重処罰の禁止は,一事不再理と異なり,同一行為につき,前の確定判決を覆すわけではなく,それに加えて新たな別の判決をすることを禁止するものである。



渋谷秀樹 『憲法』 246-247頁

日本国憲法 第3版
次に前段の後半は,「既に無罪とされた行為については,刑事上の責任を問はれない」,と定め,後段は「同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」と定める。この2つの規定をどう理解するかについては,見解が分かれている。(A)両者とも大陸法系の一事不再理の原則(確定判決は変更されないという原則)を定めたものとみる見解,(B)両者とも英米法系の二重の危険の法理(被告人は同一の行為に対して重ねて刑事手続にかけられる危険にさらされないとする憲法上の権利)を規定したものとみる見解,そして(C)前段後半は一事不再理の原則を後段は二重の危険の規定を定めたものとみる見解に分かれているのである。両者はかなりのところ重なりあっており,このような見解の対立にあまり意味はないかもしれないが,31条を手続的デュー・プロセス規定と理解する立場からは,これらの両規定は二重の危険の禁止を定めたものと理解するのが妥当であろう。