刑法:事後法(遡及処罰)の禁止と自由主義  司法書士試験過去問解説(平成9年度・憲法・第23問)




平成9年度司法書士試験(刑法)より。設問の全体は、刑法:罪刑法定主義

  •   罪刑法定主義は,法律主義と事後法の禁止という考え方から成り立っているとみることができる。

  •   事後法の禁止からは,刑罰法規の不遡及が導き出され,行為が行われた後に制定した法律で、当該行為を処罰することはできない。


罪刑法定主義が、民主主義を根拠とした法律主義を含んでいることについては、選択肢アのところで詳しく解説しました
法律主義は、罪や罰が、「何によって」決まっていなければならないか、という点に注目して、それは「法律によって」である、と答える立場でした。しかし、よく考えたらその前に、何が罪でありどういう罰が科されるかが、ともかく「決まっていなければならない」ということ自体が一つの立場なわけです。もっというと、「あらかじめ決まっていなければならない」という立場です。
何が罪でそれを犯すとどういう罰が科せられるかが「あらかじめ」わかっていれば、それを犯さないように注意することができます。注意した上で、自由にふるまうことができます。ところが、何が罪でどういう罰があるかが「あらかじめ」わかっていないと、知らない間に(!)罪を犯してしまっているのではないかと不安でたまらなくなり、行動の範囲は萎縮し、自由は制約されてしまうでしょう。
このように、罪と罰が「あらかじめ」決まっていなければならないという立場は、個人の自由を保障する立場だといえます。そして、「あらかじめ」決まっていなければならない、ということは、「あらかじめ」決まっていなかったことを、「あとから」決めて、それに該当するからといって処罰することは許されないということです。これを「遡及処罰の禁止」といいます。ある行為について、それがなされた時点では「罪でなかった」ものを、あとから「罪だった」ことにして、その定義を遡及して適用して処罰する、それを禁止しているわけです。
事後法の禁止というのは、この遡及処罰の禁止の別名ですが、ちょっと誤解の余地があるように思います。「事後法の禁止」といっても、かつて罪でなかった種類の行為について、「あとから」刑法を改正して罪にすることが禁止されているわけではありません。あくまでも、「あとから」つくった犯罪の定義を、遡及的にそれ以前の行為に適用することが禁止されているだけです。その意味では、遡及処罰の禁止という言い方の方が明確でわかりやすいと思います。
いずれにせよ、遡及処罰の禁止=事後法の禁止は、法律主義と並んで罪刑法定主義の中核をなしていますので、選択肢イと選択肢エは正しいことを述べていることになります。ただ、遡及処罰の禁止は、事後法の禁止から導き出されるというよりは、両者は同じことなんだと思いますけど。


憲法では39条がこの遡及処罰の禁止を定めています。

  • 39条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

この条文にはいくつかのことが一緒に書かれていますが、遡及処罰禁止の部分だけ取り出すと、「何人も、実行の時に適法であった行為については、刑事上の責任を問はれない」ということになります。



刑法
罪刑法定主義の背後には自由主義の原理が存在する。すなわち,何が犯罪かは法律によって定められるだけでは足りず,それが事前(行為の遂行前)に定められている必要があるというものである。行為後に制定された法律により犯罪とされ,その法律を行為時にまで遡及して適用することにより処罰されるのでは,行動の予測可能性が害され,自由が著しく侵害されることになるから,それは禁止されなければならない。こうした自由保障の見地から,遡及処罰の禁止,事後法の禁止が導かれるのであり,憲法39条はそのことを規定しているのである。



山口厚 『刑法』 9頁

憲法 第四版
憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であった行為……については、刑事上の責任を問はれない」と定め、事後法(または遡及処罰)を禁止するとともに、さらに、「何人も、……既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を聞はれない」と定めている。



憲法〈1〉
憲法39条前段前半は、「何人も、実行の時に適法であった行為……については、刑事上の責任を聞はれない」と定める。事後法( ex post facto law )の禁止を定めた規定である。
「実行の時に適法であった行為」の意味については、二つの理解がありうる。一つは、刑事上のみならず民事上も適法であった場合と理解するものである。この見解においては、実行時に民事上は違法とされていたならば、後に刑罰を定めて遡及させても、本条に違反しないことになる。ニュルンベルグおよび東京国際裁判で採られた立場が、これである。もう一つは、刑事上適法であった場合と理解するものである。この立場では、実行時に刑事上違法とされていた場合しか、刑事責任を問われることはなレことになる。刑罰に関する法的安定性、予測可能性の重要性を考えれば、後説が妥当である。
「刑事上の責任を聞はれない」については、刑罰を科せられないという意味に理解するのが通説であるが、これに対して、それも当然含むが、それ以前に、手続上訴追を受けないという意味に解すべきであるという有力な対立意見がある。後述のように、本条の「既に無罪とされた行為」については、二重の危険を定めたものとする見解が唱えられているが、この立場からは、「刑事上の責任を問はれない」は手続上の問題と理解される。そのために、統一的理解の要請から、事後法の禁止の方についても、同じように解しようというのである。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 428頁

憲法
憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を聞はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と定める。
(1)ここでは、まず前段の前半で、実行の時に適法であった行為は刑事上の責任を問われないことを定め、いわゆる「事後法( ex post facto law )の禁止」を保障する。この原則は、すでにアメリカ合衆国憲法1条9節3項や1789年のフランス人権宣言8条でも採用され、罪刑法定主義の原則の一環として、刑罰法規の遡及を禁止するものである。
(略)
憲法31条で保障される罪刑法定主義は、「法律なければ犯罪なし」の格言に従って犯罪が法律によって確定されていることを要請する。ここでは、犯罪の実行時に適法であった行為のみならず、実行時に刑罰が法定されていなかった違法行為についても、事後法によって刑罰を科することはできないことを示す。さらに、実行時に刑罰が法定されている場合でも、事後法によって法定刑より重い刑罰を定めることも禁止される趣旨と解されるが、反対に、法定刑を軽減もしくは廃止する内容の事後法を遡及的に適用することは、被告人にとっての利益であるから許容される。



辻村みよ子 『憲法 第3版』 288-289頁

憲法 (新法学ライブラリ)
憲法39条前段は,「何人も,実行の時に適法であった行為」「については,刑事上の責任を問はれない」とする。この事後法および遡及処罰の禁止は,法の支配の基本的要素の一つである(略)。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 271頁

憲法
憲法39条前段前文は,「何人も,実行の時に適法であった行為……については,刑事上の責任を問はれない」と規定する。これは,直接的には遡及処罰あるいは事後法( ex post facto law )を禁止したものである。法規範には法的安定性と予測可能性を付与する機能が期待されるが,その要請は特に刑罰という厳しい制裁において強くなる。この要請は,罪刑法定主義の背景にもあり,遡及処罰の禁止は罪刑法定主義の内容の核心部分を構成するから,この規定はまさに罪刑法定主義そのものをいわんとしたものと解すべきである。



渋谷秀樹 『憲法』 244頁

日本国憲法 第3版
まず前段の前半は,「実行の時に適法であった行為」について刑事責任を問われないと定め,遡及的に刑事責任を追及することを禁止している。これは罪刑法定主義の重要な要素でもある。実行のときに禁止されていても刑罰が科されてはいなかった場合も,同様に解すべきであろう。また,実行のときに科されていた法定刑が加重された場合にも,その重い刑を遡って適用することは許されないものといえよう。