戸別訪問一律禁止違憲訴訟判例(昭和56年7月21日)




事実の概要

別冊ジュリスト No.187 憲法判例百選2
被告人は,昭和49年6月16日施行の立川市議会議員選挙に立候補することを決意し,自己に投票を得る目的で,立候補届出前の同年同月2日および3日の両日にわたり,同選挙の選挙人の自宅ほか11戸を戸別に訪問し,自己に投票するよう依頼した。第1審(東京地八王子支判昭和54・6・8刑集35巻5号629頁参照)および第2審(東京高判昭和55・7・18判時1003号135頁)は,いずれも被告人を1万5000円の罰金刑に処した。被告人は,公職選挙法の戸別訪問禁止規定は憲法21条等に違反する無効の規定である等として上告。



長谷部恭男「戸別訪問の禁止」

別冊ジュリスト187 憲法判例百選II 第5版』 360頁


主文

本件上告を棄却する。


理由

被告人本人及び弁護人らの各上告趣意のうち、公職選挙法129条、239条1号、138条、239条3号の各規定の違憲をいう点については、右各規定が憲法前文、15条、21条、14条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和43年(あ)第2265号同44年4月23日大法廷判決・刑集23巻4号235頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく(最高裁昭和55年(あ)第874号同56年6月15日第二小法廷判決参照)、右公職選挙法の各規定を本件に適用したことが憲法前文、21条、15条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、公職選挙法252条の規定の違憲をいう点については、同条の規定が憲法31条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和29年(あ)第439号同30年2月9日大法廷判決・刑集9巻2号217頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、被告人の公民権を停止したことが憲法14条、15条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、証拠調請求の却下に関し憲法31条、32条、37条、13条、14条、98条2項違反を主張する点については、右請求却下の措置が証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められないから、所論は前提を欠き、原審が特信性のない検察官調書を採用し、審理を尽くさなかつた結果事実を誤認したとして、憲法37条2項、31条違反を主張する点は、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、本件公訴の提起が公訴権の濫用にあたらないとした原判決は憲法14条、21条に違反する旨の主張については、本件公訴の提起を違法又は不当とするような事情は認められないので、所論は前提を欠き、第一審の訴訟手続に違法な措置があつたとして、憲法13条、14条、31条、32条、37条、82条、92条、98条2項違反を主張する点は、第一審の訴訟手続に違法な措置があつたとは認められないので、前提を欠き、各判例違反の主張のうち、昭和23年6月23日及び同年7月29日の当裁判所各大法廷判例との違反をいう点については、第一審の措置は証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められないので、所論は前提を欠き、その余の判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の主張は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法405条の上告理由にあたらない。
よつて、同法408条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。



裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。



 選挙運動としていわゆる戸別訪問を禁止することが憲法21条に違反するものでないことは、当裁判所がすでに昭和25年9月27日大法廷判決(刑集4巻9号1799頁)において明らかにしたところであり、この判断は、その後も維持されており、いわば確定した判例となつている。それにもかかわらず下級裁判所において、この判例に反して戸別訪問禁止の規定を違憲と判示する判決が少なからずあらわれている。このことは、当裁判所の合憲とする判断の理由のもつ説得力が多少とも不十分であるところのあるためではないかと思われる。前記大法廷判決は、戸別訪問の禁止が単に公共の福祉に基づく時、所、方法等についての合理的制限であるという理由をあげるにとどまり、また公職選挙法138条に関する昭和44年4月23日大法廷判決(刑集23巻4号235頁)も、判例の変更の必要がないと判示しているにすぎず、必ずしも広く納得させるに足る根拠を示しているとはいえない憾みがあることは否めない。私は同条が憲法に違反するものではないと解することで法廷意見に同調するものであり、それを違憲とする所論は理由がないと考えるのであるが、この機会にその根拠についていささか私見を明らかにしておきたい。



 選挙運動としての戸別訪問は、わが国において大正14年普通選挙制の実施以来禁止されてきている。戦後の公職選挙法の制定に際し、その禁止の一部が緩和され、「公職の候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問することは、この限りでない」という但し書が付加されたが、脱法行為の弊害が生じたとして昭和27年の改正によつて削除され(昭和27年法律第307号)、全面的な禁止が復活して今日に至つている。なお、その禁止の違反に対しては、刑事罰による制裁が科せれるというきびしい禁止措置がとられている(公職選挙法239条)。周知のように、欧米の議会制民主主義国にあつては、戸別訪問は禁止されていないのみではなく、むしろそれは、候補者と選挙人が直接に接触し、候補者はその政策を伝え、選挙人も候補者の識見、人物などを直接に知りうる機会を与えるものとして最も有効適切な選挙運動の方法であると評価されている。選挙運動としての戸別訪問が種々の長所をもつことは否定することができないし、また選挙という主権者である国民の直接の政治参加の場において、政治的意見を表示し伝達する有効な手段である戸別訪問を禁止することが、憲法の保障する表現の自由にとつて重大な制約として、それが違憲となるのではないかという問題を生ずるのも当然といえよう。



 それでは戸別訪問が憲法に違反しないという論拠をどこに求めるべきであるか。この点について次ぎのようなものがあげられる。すなわち(1)戸別訪問は買収、利益誘導等の不正行為の温床となり易く、選挙の公正を損うおそれの大きいこと、(2)選挙人の生活の平穏を害して迷惑を及ぼすこと、(3)候補者にとつて煩に堪えない選挙運動であり、また多額の出費を余儀なくされること、(4)投票が情実に流され易くなること、(5)戸別訪問の禁止は意見の表明そのものを抑止するのではなく、意見表明のための一つの手段を禁止するものにすぎないのであり、以上にあげたような戸別訪問に伴う弊害を全体として考慮するとき、その禁止も憲法上許容されるものと解されること、がそれである(最高裁昭和55年(あ)第874号同56年6月15日第二小法廷判決参照)。



 以上のような諸理由はそれぞれに是認できないものではなく、単に公共の福祉にもとづく制限であるというのに比してはるかに説得力に富むものではあるが、私見によれば、それらをもつて直ちに十分な合憲の理由とするに足りないと思われる。



(1)戸別訪問は買収や利益誘導のような不正行為を誘発する機会となり易く、実質的に選挙の公正を害する選挙運動を生みだす危険性をもつことは容認できる。とくにわが国の現状をみると、戸別訪問が実質的な不正行為の温床となるということを、安易に却けることができないと考えられる。戸別訪問に随伴するとみられる弊害として右にあげたものを多少とも生みだすおそれがあり、かつ戦前には戸別訪問とともに禁止されていた個々面接や電話による選挙運動が現行法上は許されているのは、それらが買収などを誘発する危険性がほとんどないことに基づくことを考えると、戸別訪問の禁止の最も重要な理由はこの点にあると思われる。しかしながら、戸別訪問はそれ自身として違法性をもつものではなく、買収などを誘発する可能性があるといつても、なお抽象的な危険があるにとどまり、実際にはそのようなおそれのない場合があるし、かりにその可能性があるとしても、不正行為の発生の確率の高いものとは必ずしもいえない。憲法上の重要な価値をもつ表現の自由をこのような害悪発生のおそれがあるということでもつて一律に制限をすることはできないと思われる。また、具体的な危険の発生が推認されるときはともかく、単に観念上危険があると考えられるにすぎない場合に、表現の自由の行使を形式犯として刑罰を科することには、憲法上のみならず刑法理論としても問題があると思われる。



(2)戸別訪問が、それをうけることを欲しない選挙人にとつて迷惑感がつよく、その平穏な生活を害することはたしかである。とくにわが国における選挙人の通常の意識からみて、これを私生活の妨害と考える程度は少なくないと思われる。しかし、営利目的などでの訪問ではなく、選挙運動としての訪問は、それが議会制民主政治においてもつ意義の大きいことからみて、選挙人において受忍すべき範囲が広いと考えられるし、選挙人への迷惑を少なくするために訪問の時間や方法に合理的な制限を加えることが許されるとしても、私生活の平穏の保持の必要ということは、一律に戸別訪問を禁止することの理由として十分とはいえない。



(3)戸別訪問を許すと、各候補者は相互に競つて多くの選挙人を訪問せざるをえなくなり、その選挙運動が煩に堪えなくなるということもありうるかもしれない。しかし、これは候補者にとつての利便の問題であり、選挙人にとつて有益な判断資料を与えるという有効な手段が候補者側の利便によつて制限されることは適当ではない。また戸別訪問が選挙の費用を多額なものとするともいわれるが、かりにそうであつたとしても、それは法定費用の制限をもつて抑えるべきものであるし、およそ戸別訪問は最も簡便で、選挙費用に乏しい候補者が利用できる方法であるという面ももつていることをみのがしえない。



(4)戸別訪問は、前記のように、選挙人が候補者側と直接に接触してその政策や人格識見を知りうるという長所をもつが、わが国の国民の政治意識がいまなお高くないことから、実際には、政策や識見よりも、義理や人情に訴えることとなり、投票が情実に流されるおそれのあることもまた否定できない。選挙運動の手段を法が定めるにあたつて、いたずらに理想を追うのではなく、実態を考慮にいれなければならないことはたしかである。しかし、このことを理由として戸別訪問を一律に禁止することは、投票が情実に左右されるという消極的側面を余りに重視しすぎることになるのみでなく、それは単に推認によつてそのような危険性があるというにとどまり、厳密な事実上の論証があるとは必ずしもえない。そのようなおそれがあるというのみでは、選挙における表現の自由を制約する根拠として十分とはいえないと思われる。



(5)表現の自由を制約する場合、表現そのものを抑止することよりも、表現の自由の行使の時、場所、方法を規制することは、その制約の程度が大きくなく、したがつて憲法上前者が合憲とされるためにはきびしい基準に適合する必要があるのに反して、後者はそれに比してやや緩やかな基準に合致するをもつて足りると考えられる。しかし、表現の自由の制約は、多くの場合に、後者の手段によつてされるのであり、これが単に合理的なものであれば許容されると解されるのであれば、表現の自由の制約が広く許されることになり、正当な解釈とはいえない。表現の自由の行使の一つの方法が禁止されたときも、その表現を他の方法によつて伝達することは可能であるが、禁止された方法がその表現の伝達にとつて有効適切なものであり、他の方法ではその効果を挙げえない場合には、その禁止は、実質的にみて表現の自由を大幅に制限することとなる。たしかに選挙運動において候補者の政策を選挙人に伝える方法として多くのものが認められてはいるが、戸別訪問が直接に政治的意見を伝えることができるとともに、また選挙人側の意思も候補者に伝えられるという双方向的な伝達方法であることなどの長所をもつことを考えると、戸別訪問の禁止がただ一つの方法の禁止にすぎないからといつて、これをたやすく合憲であるとすることは適切ではない。



以上のように考えると、これまで戸別訪問の禁止を合憲とする根拠とされてきたものは、それぞれに一応の理由があり、これを総体的にとらえるとき、この禁止が合理性を欠くものではないといえるかもしれないが、それだけでは、なお合憲とする判断の根拠として説得力に富むものではない。戸別訪問は選挙という政治的な表現の自由が最も強く求められるところで、その伝達の手段としてすぐれた価値をもつものであり、これを禁止することによつて失われる利益は、議会制民主主義のもとでみのがすことができない。そうして、もし以上に挙げたような理由のみでもつて戸別訪問の禁止が憲法上許容されるとすると、その考え方は広く適用され、憲法21条による表現の自由の保障をいちじるしく弱めることになると思われる。



 私は、以上に挙げられた諸理由は戸別訪問の禁止が合憲であることの論拠として補足的、附随的なものであり、むしろ他の点に重要な理由があると考える。選挙運動においては各候補者のもつ政治的意見が選挙人に対して自由に提示されなければならないのではあるが、それは、あらゆる言論が必要最少限度の制約のもとに自由に競いあう場ではなく、各候補者は選挙の公正を確保するために定められたルールに従つて運動するものと考えるべきである。法の定めたルールを各候補者が守ることによつて公正な選挙が行われるのであり、そこでは合理的なルールの設けられることが予定されている。このルールの内容をどのようなものとするかについては立法政策に委ねられている範囲が広く、それに対しては必要最少限度の制約のみが許容されるという合憲のための厳格な基準は適用されないと考える。憲法47条は、国会議員の選挙に関する事項は法律で定めることとしているが、これは、選挙運動のルールについて国会の立法の裁量の余地の広いという趣旨を含んでいる。国会は、選挙区の定め方、投票の方法、わが国における選挙の実態など諸般の事情を考慮して選挙運動のルールを定めうるのであり、これが合理的とは考えられないような特段の事情のない限り、国会の定めるルールは各候補者の守るべきものとして尊重されなければならない。この立場にたつと、戸別訪問には前記のような諸弊害を伴うことをもつて表現の自由の制限を合憲とするために必要とされる厳格な基準に合致するとはいえないとしても、それらは、戸別訪問が合理的な理由に基づいて禁止されていることを示すものといえる。したがつて、その禁止が立法の裁量権の範囲を逸脱し憲法に違反すると判断すべきものとは考えられない。もとより戸別訪問の禁止が立法政策として妥当であるかどうかは考慮の余地があるが(第七次の選挙制度審議会では、人数、時間、場所、退去義務などの規制をするとともに、戸別訪問の禁止を原則として撤廃すべしとする意見がつよかつた)、これは、その禁止が憲法に反するかどうかとは別問題である。



  昭和56年7月21日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    寺田治郎
            裁判官    環昌一
            裁判官    横井大三
            裁判官    伊藤正己