憲法:外国人の人権の文言説/性質説  司法書士試験過去問解説(平成21年度・憲法・第1問)




平成21年度司法書士試験(憲法)より。設問全体については、憲法:外国人の人権

教授: (略)肯定説を前提にして,憲法第3章で規定された基本的人権のうち,どのような人権が外国人に保障されるかについては,憲法の文言を重視する文言説と権利や自由の性質に応じて判断する性質説とがありますね。これら二つの見解について,どのように考えますか。
学生: 私は,性質説が妥当と考えます。この説は,( (2) )との考えに基づき,より妥当な結論を導くことができるからです。
教授: そうですね。では,文言説に対しては,どのようなことが指摘されていますか。
学生: 文言説に対しては,( (3) )という指摘ができると思います。
教授: 文言説の問題点としてはその点を指摘することができますね。


憲法上の人権保障が外国人に対しても及ぶのかどうかについて、肯定説をとるとしましょう(詳しくは、憲法:外国人の人権の肯定説/否定説)。すると今度は、日本国民に保障される人権がすべて外国人にも保障されるのか、それとも一部だけなのかが気になってきます。設問中の対話では、全部は保障されないということが前提になって、では保障される人権と保障されない人権を区別する基準は何か、という話に進んでいます。
さて、憲法の第3章に列挙されている人権条項は、「何人(なんぴと)も」となっているのと、「国民は」となっているのの2種類があります。「何人も」なのであれば、国民なのか外国人なのかに関係なく人権が保障されるということな気がするので、もしこの言葉の使い分けがうまくいっているのであれば、それに応じて外国人に保障される/保障されない人権を区別することができるかもしれません。これが文言説です。
そこで、それぞれの条文を列挙してみることにします。まずは、「何人も」ですが、

  • 第16条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

  • 第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

  • 第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

  • 第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

  •  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

  • 第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

  •  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

  • 第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

  • 32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

  • 第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

  • 第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

  • 第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

  • 第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

  •  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

  • 第39条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

  • 第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

結構ありました。次に、「国民は」の方ですが、

  • 第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

  • 第12条 この憲法国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

  • 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

  • 第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

  • 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

  • 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

  •  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

  • 第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

  • 第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

こちらもそれなりにありました。さてこの文言説による区別はうまくいっているでしょうか。
いま、「うまくいっているでしょうか」と言ってしまいましたが、文言説の場合、「うまくいっている」とはどういうことなのか、実は不明です。個々の条文で保障されている権利がどんなものであるかによって、何人(なんぴと)/国民の使い分けの妥当性を判断していこうとするなら、結局、個々の権利の内容、その性質によって文言の使い分けを評価するということになるわけですが、それこそがまさに、文言説と対立する性質説の立場なのですから、この道はとれません。
この点からも、文言説が少々無茶なことを言っていることがわかります。「そう書いてある」ことだけを根拠にし、「そう書いてある」ことの妥当性の判断は拒否するわけですから。
しかし、実はそこまで言わなくても、文言説だと困った事態が出てきます。憲法22条2項には

  • 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

とあります。「何人も」ですから、文言説だと、ここで定められている国籍離脱の自由の保障は、外国人にも及ぶはずです。ところが、たとえば米国人が米国籍を離脱することを認めるかどうかは、米国の国家の問題であって、日本の国家ががどうにかできる問題ではありません。そして、日本国憲法は日本の国家に対して人権保障を求めるものですから、この条文がたとえば米国人に適用されるとすると、意味不明なことになってしまいます。これは文言説にとっては困った事態だと言わざるを得ませんね。
そのため、学説も判例も、性質説をとっています。最高裁が性質説の立場を明確にしたのがマクリーン事件の判決です。

憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり

マクリーン事件の判決についてはこちら
というわけで、答えですが(選択肢の全体については、憲法:外国人の人権)、性質説のもとになる考えを訊いている(2)は、

  •   憲法によって保障された人権は,その性質に照らし, できる限り外国人にも保障すべきである

が正解、また文言説の問題点を訊いている(3)は、

  •   憲法第22条第2項は,「何人も」と規定しているが,国籍離脱の自由の保障は,もともと日本国民のみを対象としている

が正解です。



憲法 第四版
外国人にも、権利の性質上適用可能な人権規定は、すべて及ぶと考えるのが妥当である。通説および判例も、そう解する。問題は、いかなる人権がどの程度に外国人に保障されるのかを具体的に判断していくことである。



憲法〈1〉
いかなる人権について外国人にも保障されるかという点について、文言説は、憲法第三章の規定が、「何人も」と「国民は」という表現を区別していることに着目し、「何人も」という場合には日本国民だけではなく、外国人も含まれると解するのに対して、性質説は、憲法によって保障された人権の性質を検討して、できるだけ外国人にも人権保障を及ぼそうとする説である。文言説に対しては、憲法第三章の諸規定を検討すると、例えば、憲法22条2項は、「何人も」と規定しているが、国籍離脱の自由の保障はもともと日本国民のみを対象としているように、憲法制定者が「何人も」と「国民は」の用語を厳密に使い分けているわけではないという批判が加えられている。今日圧倒的多数の学説は性質説の立場をとっている。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 219頁

憲法
肯定説は、(a)文言説や(b)権利性質説(性質的適用説)、(c)準用説に区別される。(a)文言説は、憲法第3章の規定上「何人も」と表現される条項は外国人にも適用され、「国民は」とされる条項は外国人には適用されないと解する。しかし、例えば、国籍離脱の自由を定める憲法22条2項は「何人も」と表現するが、日本国憲法が外国人の国籍離脱の自由を保障していると解することは妥当ではなく、憲法制定者が「何人も」と「国民は」の文言を厳密に用いていないという批判が成立する。(中略)そこで、通説は、(b)の権利性質説をとり、憲法によって保障された権利の性質を検討したうえで、外国人にも可能な限り保障を及ぼそうとする立場にたっている。



辻村みよ子 『憲法 第3版』 142-143頁

憲法 (新法学ライブラリ)
かつては,憲法の文言によって「国民」のみに保障される権利か「何人」にも保障される権利かを区別しうるとの説も存在したが,現在の支配的学説は,権利の性質によって外国人にも等しく保障される権利と,そうでないものとが区別されると説く。
たとえば,信教の自由や思想,良心の自由は,人が人であることによって当然に享受すべき「人権」であるから,外国人であるからといってその享受を否定することはできないが,選挙権は国政に参与する権利であるから,国民のみにこれを認めても不合理ではないといわれることがある。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 124頁

憲法
肯定説をとるにしても,すべての憲法上の権利が外国人にも日本人と同等に保障されるとする説はない。とすれば, どの権利が外国人に保障されず,また保障されるにしても制限されるかを判定しなければならない。
その基準について, 「何人」「国民」という憲法上の文言を基準とする説(文言説)と人権の性質を基準とする説(性質説)があるが, 22条2項で定める国籍離脱の自由のように国民の自由としか考えられないものについても「何人」と規定していて,文言が厳密な用語の使い分けを意識して作られたものではないこと, さらに権利ごとに適用の妥当性を考える方が合理的であることを理由として,性質説が通説である。最高裁も早くから外国人にも憲法上の権利が基本的に及ぶとしていた。



渋谷秀樹 『憲法』 110頁