憲法:被選挙権の権利性  司法書士試験過去問解説(平成21年度・憲法・第2問)




平成21年度司法書士試験(憲法)より。判例の趣旨との合不合を問うもの。設問の全体は、憲法:公務員の選挙

  •   公務員を選定,罷免することを国民の権利として保障する憲法第15条第1項は,被選挙権については明記していないが,選挙権の自由な行使と表裏の関係にある立候補の自由についても,同条同項によって基本的人権としての保障が及ぶ。


憲法15条1項はこうです。

  • 15条1項  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

選択肢に書いているとおり、被選挙権については明記してありません(「選挙権」とか「被選挙権」という言葉は憲法に出てこないのですが、ここで選挙権が保障されていることは明らかです)。
さて、「立候補の自由」ですが、まず立候補して、その候補者を対象に選挙をするといういまの選挙の仕組みは、別に憲法でそうしろと決められているわけではありません。憲法は平等・差別禁止とかの注文をつけつつ、どんな形で選挙を行うかについては法律で決めろと、国会に委ねています。そしていまの選挙の仕組みを決めているのが、公職選挙法という法律です。立候補制度はこの法律によって採用されているわけです。
さて、立候補制ではなく、選挙人が自由に誰にでも投票できるのであればいいのですが、立候補制を採用する場合、立候補の資格に変な制限が加えられてしまうと、選挙人が本当に投票したい人が立候補できないということもありえます。そうすると、選挙人は選挙権を存分に発揮することができなくなります。つまり、選挙権を保障するためには、立候補の自由(現制度のもとではこれがイコール被選挙権)も保障しなければならないということです。両者は表裏の関係にあるわけです。
この立場は、労働組合の組合員に対する統制権と、立候補の自由が対立した三井美唄炭鉱労組事件の判例が採用した立場と一致します。

もし、被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない。この意味において、立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である。このような見地からいえば、憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである。

選択肢は、これと同じことを述べていますので、判例の立場として正しいということになります。



憲法 第四版
被選挙権は、選挙されうる資格であって、選挙されることを主張しうる権利ではない、と解する説が有力である。しかし、被選挙権も広義の参政権の一つであり、権利性がないわけではない。判例は、「被選挙権、特に立候補の自由」は「選挙権の自由な行使と表裏の関係」にあるものとして、一般に憲法15条1項によって保障される権利と解している(略)。



芦部信喜 『憲法 第四版』 248-249頁

憲法〈1〉
被選挙権とは、選挙人団によって選定されたとき、これを承諾して公務員となる資格のことである。したがって、それは一般に、選挙されうる資格ないし地位であって、選挙されることを主張しうる権利ではないと解されている(略)。もちろん、その場合でも、国民が選挙に立候補する権利という意味での被選挙権は、憲法で保障された国民の基本的な権利である(略)。この場合、被選挙権の憲法上の根拠について、明文規定がないところから、(1)憲法13条の幸福追求権にその根拠を求める説(略)、(2)選挙権と被選挙権を表裏一体としてとらえて憲法15条1項にその根拠を求める説(略)と(3)憲法44条が選挙権と被選挙権とを区別していないことをその根拠とする説(略)等に分かれる。
判例は、(2)説または(3)説の立場から、「被選挙権を有し、選挙に立候補しようとする者がその立候補について不当に制約を受けるようなことがあれば、そのことは、ひいては、選挙人の自由な意思の表明を阻害することとなり、自由かつ公正な選挙の本旨に反することとならざるを得ない」として、立候補の自由と選挙権を表裏の関係にあるものとしてとらえ、「憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである」とする(略)。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 515頁

憲法
従来の通説では、憲法15条1項の「国民固有の権利」としての公務員選定権を主権者の具体的な選挙権と解さず、抽象的な参政の権利ないし資格(「選挙に参加する資格または地位」)として捉えてきた。このことから、被選挙権についても、従来の通説は、権利ではなく権利能力と解し(権利能力説)、「選挙人団によって選定されたとき、これを承諾し、公務員となりうる資格」(略)であると説明してきた。ここでは、国家法人説の立場から個人に権利が帰属しないことが前提とされたため、被選定権(公務員に選出される権利)の権利性が承認されないのも当然であった。判例でも、選挙犯罪の処刑者に対して選挙権と被選挙権の停止を定める公職選挙法252条の合憲性が問題になった事件で被選挙権の性格が論点となり、1955年の最高裁判決は権利性を否定した。
(略)
ところが、その後、最高裁は、労働組合員の立候補権に関する1968年12月4日の三井美唄炭鉱事件大法廷判決(略)で、「立候補の自由は、選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり、自由かつ公正な選挙を維持するうえで、きわめて重要である」、「憲法15条1項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定していないが、これもまた、同条同項の保障する重要な基本的人権の一つと解すべきである」と指摘した。ここでいう基本的人権の概念は不明であるにせよ、この判決やその後の衆議院議員定数判決(略)のなかで、最高裁が「国民の最も重要な基本的権利」としての選挙権の権利性や選挙権の平等を強調しており、権利説の立場にしだいに接近してきたものと解することができよう。
これらの判例の展開に伴って、学説も、最近では被選挙権の内容を立候補権として捉え(立候補権説)、被選挙権を基本的権利と解して、憲法上の選挙原則をこれにも適用しようとする見解が有力となった(略)。理論的には、従来の二元説のように公務性を基礎とする公務員選定資格との関連で被選挙権を捉える場合には、被選定権としての被選挙権の権利性は承認されえないのに対して、国政参加権の一態様としての立候補の権利は認めることができる。また、主権的権利説では、立候補は、主権者にとって議員の選出と同様に重要な主権行使の一形態であり、被選挙権も立候補による主権行使の権利として捉えられる。したがって被選挙権は、選挙権と同様、15条1項を根拠として、立候補権を中心とする個人的権利として理解されることになる(略)。このほか、「自ら公職者として国政に参与する権利」の一側面として、被選挙権を憲法上の権利(憲法13条の幸福追求権の内実をなすもの)と解する見解も存在する(略)。



辻村みよ子 『憲法 第3版』 332-334頁

憲法 (新法学ライブラリ)
被選挙権も,選挙権と同様,国民の国政への参加を保障する重要な権利であり,憲法15条1項には明定されていないものの,被選挙権者がその立候補を不当に制約されれば,選挙人の自由な意思の表明を阻害することになるという意味で選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり,「これもまた同条同項の保障する重要な基本的人権の一つ」と解されている(略)。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 302-303頁

憲法
被選挙権とは,選挙人団によって選定(選任)されたとき,これを承諾し,公務員となりうる資格をいう。「選挙されることを主張しうる権利ではない」とされる。もっとも,被選挙権を選挙に立候補する権利であると解すると,被選挙権は憲法で保障されたものである。
(略)
被選挙権の根拠を,憲法13条の幸福追求権に求める説(13条説),憲法15条1項に規定された選挙権と表裏一体とする説(15条1項説),憲法44条が選挙権と被選挙権を区別しないことに求める説(44条説)等がある。最高裁は,「立候補の自由は,選挙権の自由な行使と表裏の関係にあり,自由かつ公正な選挙を維持するうえで,きわめて重要である。このような見地からいえば,憲法15条1項には,被選挙権者,特にその立候補の自由について,直接には規定していないが,これもまた,同条同項の保障する重要な基本的人権の1つと解すべきである」としており,15条1項説をとったものと解される。選挙権は15条1項から導き出せないとする本書の立場からは,治者(代表)と被治者の自同性という国民主権の原理の中核から導き出され,その意味で選挙権と被選挙権は表裏一体のものと捉えられる。具体的な条文の根拠は,国会議員の被選挙権は43条1項に,また地方公共団体の長,議会の議員およびその他の吏員の被選挙権は93条2項に求めるべきことになる。



渋谷秀樹 『憲法』 425頁

日本国憲法 第3版
15条は,選挙権について規定しているが,被選挙権については何も規定していない。そこで,被選挙権を,憲法上どう捉えるかが問題となっている。
最高裁判所は,三井美唄労働組合訴訟判決(略)で,15条が立候補の自由をも保障していることを認めている。先に選挙権について述べたのと同様,被選挙権は,選挙人団によって選出される資格であり,権利ではないという見解もないではないが,一般には学説も,この最高裁判所判決を支持している(ただし,13条の幸福追求権に根拠を求める見解もある)。
そもそも,選挙の際に,立候補制をとらず,選挙人が自由に選出される人の氏名を記載する制度も可能である。それゆえ国民には,選挙で選出される権利が認められなければならない。ただ現在では,どの国でも一般には立候補するか投票用紙に氏名が記載されない限り,選出されえない制度になっている。従って,そのような制度を前提とすれば,立候補し,あるいは投票用紙に氏名が記載されることを基本的人権と考える必要がある。とすれば,15条は,そのような立候補の自由をも保障していると考えるべきである。
立候補の自由を基本的人権と考えるべきだとしても,一定の制約はやむをえない。しかし外国人に被選挙権が認められないのはやむをえないとしても(略),立候補の自由を基本的人権と考える以上,被選挙権の制限はすべて基本的人権の剥奪として扱うべきである。そして,やむにやまれない政府利益を達成するために必要不可欠なものでない限り,制限は許されないと考えるべきである。