憲法:戸別訪問の禁止  司法書士試験過去問解説(平成21年度・憲法・第2問)




平成21年度司法書士試験(憲法)より。判例の趣旨との合不合を問うもの。設問の全体は、憲法:公務員の選挙

  •   戸別訪問は国民の日常的な政治活動として最も簡便で有効なもので,表現の自由の保障が強く及ぶ表現形態であり,買収等がされる弊害が考えられるとしてもそれは間接的なものであって戸別訪問自体が悪性を有するものではなく,それらの弊害を防止する手段が他にも認められるから,選挙に関し,いわゆる戸別訪問を一律に禁止することは違憲である。


選挙のときに、候補者は選挙カーで走りまわったり、駅前で演説したり、街頭で握手したりはしますが、家に来て個別に政策を説明したりはしません。なぜかというと、それは公職選挙法で禁止されているからです。

  • 138条  何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。

この規定に違反して戸別訪問すると罰則があります。

  • 239条  次の各号の一に該当する者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
    (略)
    3  第138条の規定に違反して戸別訪問をした者
    (略)

さて、この禁止規定が、憲法21条で保障されている表現の自由を侵害するものではないのかが問題になります。

  • 21条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

選択肢は、「違憲である」としていますが、でも現実にこの公職選挙法の規定がいまも生きていて、候補者が家に来たりはしていない以上、判例は「違憲である」とは言っていないんだろうな、ということは常識の範囲内でわかることであって、だから選択肢は明らかに間違いです。
で、実際、昭和56年(1981年)の判例でも、やはり合憲の判断が下されています。この判決では伊藤正己裁判官が詳しい補足意見を書いていて、戸別訪問を禁止しないことによって生じるおそれのある弊害はいろいろあるけれど、そういう弊害が生じるおそれがあるからといってそれだけで表現の自由を制限するのはよくない、としています。
そうではなくて、選挙(というゲーム)は公職選挙法というルールがあってはじめて成立するもので、そのルールは合理的でなければならないが、合理的でありさえすれば(つまりもっともな理由に基づいていれば)国会の裁量で決めていいというのが、選挙のやり方は法律で定めることとしている憲法47条の趣旨であり、戸別訪問の禁止には、表現の自由を制限するほどのものではないがともかく理由はあるのだから、違憲にはならないというわけです。この点、以下の長谷部恭男の指摘が参考になります。



憲法 第四版
最高裁は、表現の自由も「公共の福祉のため必要ある場合には、その時、所、方法等につき合理的制限のおのづから存する」との立場から、無制限にしておくと「選挙運動に不当の競争を招き、これが為、却って選挙の自由公正を害し、その公明を保持し難い結果を来たすおそれがある」ので、かかる弊害防止のための一定の規制は、「憲法上許される必要かつ合理的な制限」である、と判示した(略)。このような、弊害の生ずるおそれを想定する観念的・形式的な論理によって結論を導き出す手法は、公選法138条の戸別訪問禁止規定についても、そのまま用いられた。しかし、その後の判例は、猿払事件判決の「合理的関連性」基準(略)を用い、戸別訪問禁止は一つの意見表明の「手段方法に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎない反面、禁止により得られる利益は、失われる利益に比してはるかに大きい」とし、かつ、「戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法政策の問題である」という、立法府の裁量を強調している(略)。選挙運動の自由に大きな比重をおきつつ、選挙の公正の原則との間に調和をはかるとすれば、立法目的の正当性の審査のほか、その目的を達成するためにより制限的でない緩やかな規制手段があるかどうか(たとえば、戸別訪問にともなう弊害として、(1)買収、利害誘導など不正行為の温床となる、(2)選挙人の生活の平穏を害する、(3)候補者の出費が多額になる、などが挙げられるが、その実質的証拠があるのか、あるとしても、事後処罰や訪問時間の制限などによって立法目的を達成することができないのか、など)を具体的・実質的に(立法事実等の検証を通じて)審査することを要求するLRAの基準によって合憲性を判定するのが、適切であろう。もっとも、戸別訪問など有力な選挙運動の全面的な規制であるから、表現内容規制と解し、より厳格な基準によって判断すべきだ、という有力説もある。



芦部信喜 『憲法 第四版』 198-199頁

憲法〈2〉
公選法138条1項は、「何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問をすることができない」と規定し、すべての者に対して戸別訪問を禁止している(なお、同条2項はその脱法行為を禁止)。
最高裁は、右の規定が憲法21条の「意見表明の自由」に違反するとの主張を次のような理由で斥ける。
戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段・方法のもたらす弊害(買収・利益誘導の温床、選挙人の平穏な生活侵害、戸別訪問を競わなければならない候補者の煩墳など)を防止し、もって「選挙の自由と公正」の確保を目的とする。この目的は正当であり、その目的と戸別訪問を一律に禁止する措置を講ずることとの間には合理的関連性がある。この措置によって失われる利益は、単に手段・方法の禁止に伴う限度での意見表明の間接的・付随的な制約にすぎない反面、禁止により得られる利益は、戸別訪問という手段・方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるから、得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きい。したがって、当該規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものではなく、憲法21条に違反しない。戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、選挙の自由と公正を確保する見地からする国会の立法裁量の問題である(略)。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法II 第4版』 24頁

憲法
選挙活動の自由については、公職選挙法が(略)戸別訪問の禁止(138条)(略)等の多くの制約を定めている。その合憲性が争われた訴訟の判例では、下級審で多くの違憲判決が出現しているのに対して、最高裁では、初期の判例においては、表現の自由も「公共の福祉のため必要ある場合には、その時、所、方法等につき合理的制限がおのずから存する」という「公共の福祉」論や、抽象的な弊害のおそれ(不正行為の温床となる、選挙人の生活の平穏を害する、無用な競争を激化させるなどの弊害論)から容易に合憲判断を導いていた(略)。
ところが、下級審判例最高裁判決個別意見のなかで弊害論が痛烈に批判されるようになった1980年代以降は、最高裁は、「合理的関連性」基準を用いて選挙の公正確保の目的と手段の関連を合理的なものと判断し、さらに、戸別訪問禁止は表現の自由の間接的・付随的な制約によって得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きく、「戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法政策の問題である」と、立法裁量を強調する立場によって合憲判断を維持し、一貫して旧来の判例を踏襲してきた(略)。
選挙運動の自由を表現の自由の内容として重視する立場からすれば、立法目的が正当である場合でも、目的を達成するためにより制限的でない規制手段があるかどうかを検討することが必要であり、厳格審査基準(LRA基準)によって合憲性を判定するのが妥当といえよう(略)。



憲法 (新法学ライブラリ)
最高裁判所判例は,戸別訪問の禁止(公選法138条,239条)(略)に関しいずれも合憲であると判断している(略)。
以前の判例が,選挙運動の規制について,さしたる理由も述べずに「公共の福祉のため,憲法上許された必要且つ合理的の制限」(略)と結論づける態度をとっていたのに比べ最近の最高裁はよりきめ細かい議論を展開しているが,その中に2つの類型を区別することができる。
第一は,選挙運動の規制が,表現内容に着目した規制ではなく,表現活動の間接的・付随的規制にすぎないことを理由として,ゆるやかな違憲審査基準を適用しようとするものである。公職選挙法による戸別訪問の一律禁止が,意見表明そのものの制約を目的とするものではなく,戸別訪問が買収,利害誘導の温床となり,選挙人の生活の平穏を害するなどの弊害を防止することを目的とすることに着目して,この目的と戸別訪問一律禁止という立法手段との間の合理的関連性,さらには禁止によって得られる利益と失われる利益の衡量から,戸別訪問一律禁止を正当化する議論はその例である(略)。しかし(略)戸別訪問の禁止は,表現の内容に着目した規制であるといわざるをえず,ゆるやかな審査基準を適用することには疑問がある(略)。
第二に,選挙運動に関する規制は,選挙運動という公平な構成するルール競争を成り立たせている構成的ルールであり(つまりこれらの規制なくしては,選挙運動なるものがそもそも想定できない),そのルールの設定が憲法47条によって国会に委ねられている以上,ルールの内容が合理的とは考えられないような特段の事情がない限り,各候補者は国会の制定したルールを尊重すべきであるとする伊藤正己裁判官の議論がある(略)。これは,選挙運動に関する規制を,調整問題を解決するルールの一種として見ようとする試みである。しかし,取引のルール設定や交通規則のような典型的調整問題と異なり,選挙運動については,規制のない自由な活動という憲法が理想とするモデルがすでに存在するのではないかという疑いがある。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 345-346頁

別冊ジュリスト No.187 憲法判例百選2
これに代えて伊藤裁判官が示すのは, とりあえずの射程を選挙運動規制に限定する次のような論理である。
公職選挙法上の選挙運動は,あらゆる言論が必要最少限度の制約の下に自由に競いあう場ではなく,各候補者が選挙の公正を確保するために定められたルールに従って運動する場である。法の定めたルールを各候補者が守ることによって公正な選挙が行われるのであり,そこでは合理的なルールの設けられることが予定されている。このルールの内容をどのようなものとするかについては立法政策に委ねられている範囲が広く、それに対しては表現活動規制について一般にあてはまる厳格な審査基準は適用されない。
この伊藤裁判官の論理を憲法47条の規定を根拠に国会の広範な立法裁量を認めたものとするのは,正鵠を射たとらえ方とは言いがたい。この論理の背景にあるのは,選挙運動なるものが,公職の候補者の選挙という特定の目的をもって政府が意図的に設定した表現の場であり,そこではあらゆる者に自由な表現活動が許されるわけではなしむしろ,選挙の公正を確保するためのルールに従った表現活動のみが行われることが予定されているという考え方である。しかも,そこでいう「選挙の公正」とは定められた共通のルールをすべての参加者が守るという意味での「公正」であって,運動競技や賭け事について妥当する「公正」と同様のものである(ジョン・ロールズの用語をあえて用いるなら,ここで問題となるのは純粋な手続的正義である。(略)。このため,競争への参加者が従うべきルールの内容の定め方については,立法者に広範な裁量の余地が残される。とにかく何らかのルールが定められ,それにすべての者が従うことが肝要だという意味では,ここでのルール設定は,いわゆる調整問題(co-ordination problem) の解決としてのそれだということができる(略)。そして,日本国憲法の規定では,このルールの設定者はたまたま国会だとされているため(47条),その結果として,国会に広い立法裁量が認められることになる。したがって,表現活動規制について通常あてはまる厳格な審査基準は,ここにはあてはまらず,当該ルールが合理的と考えられない特段の事情がないかぎり合憲とされる緩やかな基準が妥当する。



長谷部恭男「戸別訪問の禁止」

別冊ジュリスト187 憲法判例百選II 第5版』 361頁

憲法
公職選挙法138条の規定する戸別訪問禁止につき,最高裁は以下のようにその合憲性を肯定する。まず,初期の判例は,「選挙運動としての戸別訪問……〔を各種法令は〕禁止している。その結果として言論の自由が幾分制限せられることもあり得よう。しかし憲法21条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく,公共の福祉のためにその時,所,方法等につき合理的制限のおのずから存することは,これを容認するものと考うべきである」と単純な理由しか示していなかった。これに対して,戸別訪問の禁止の合憲性に疑問を呈する有力な学説が提唱され,下級審には違憲判決も現れた。最高裁は,戸別訪問に伴う実質的弊害として,(1)買収,利害誘導等の温床となること,(2)選挙人の生活の平穏を害すること,(3)候補者も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなること,(4)候補者も多額の出費を余儀なくされることと,(5)投票が情実に支配されやすくなることを指摘し戸別訪問禁止の目的は,「意見表明そのものの制約」ではなく,上記のような弊害を防止し,「選挙の自由と公正」の確保であるとする。そして,この「目的は正当であり,それらの弊害を総体としてみるときには,戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性がある」とした上で,「戸別訪問の禁止によって失われる利益は,それにより戸別訪問という手段方法による意見表明の自由が制約されることではあるが,それは,もとより戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を制約するものではなく,単に手段方法の禁止に伴う限度での間接的,付随的な制約にすぎない反面,禁止により得られる利益は,戸別訪問という手段方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるから,得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きい」として,「戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法138条1項の規定は,合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められ」ないとした。
最高裁の基準は合理的関連性の基準であり,緩やかな審査である。これに対し,選挙運動の自由に大きな比重をおきつつ,選挙の公正の原則との聞に調和をはかるとすれば,立法目的の正当性の審査のほか,その目的を達成するためにより制限的でない緩やかな規制手段があるかを具体的・実質的に審査すべきとの批判が浴びせられた。ここでの規制対象は,選挙運動であるから,その行為の性質に照らして,立法目的を支える弊害が存在するかという立法事実の検証がなされるべきである。さらに仮にその検証がなされたとしても,その弊害防止のために法律が用意する手段は必要不可欠かを審査すべきである。



渋谷秀樹 『憲法』 353頁

日本国憲法 第3版
次に戸別訪問の禁止については,旧衆議院議員選挙法等における禁止を支持したあと(略),公職選挙法における禁止も支持し(略),その後下級審で違憲判決が下されても,それを覆して合憲判決を維持してきた。
(略)被告人は,1976年の衆議院議員総選挙において,立候補した候補者に投票を得させる目的で戸別訪問し,公職選挙法138条違反で起訴された。第1審は,戸別訪問の禁止規定は憲法に反するとして無罪を言い渡し,控訴審もこれを支持した。しかし最高裁判所は,公職選挙法138条1項の規定が21条に違反するものでないことは裁判所の判例であるとしつつ,戸別訪問の禁止は,意見表明そのものの制約を目的とするものではなく,意見表明の手段方法の制約であり,そのもたらす弊害,すなわち買収,利害誘導等の温床になりやすいこと,選挙人の生活の平穏を害すること,放任されると候補者側も多額の出費を余儀なくされること,投票が情実に支配されやすくなることなどを防止し,もって選挙の自由と公正を確保することを目的としており,この目的は正当で,戸別訪問の一律禁止は禁止目的との間に合理的関連性があり,これにより失われる利益は間接的,付随的であるのに対し禁止によって得られる利益ははるかに大きいので,その禁止は合理的で必要やむをえない限度を超えるものとはいえないとの判断を付加した。