憲法:謝罪広告の強制 司法書士試験過去問解説(平成15年度・憲法・第1問)
平成15年度司法書士試験(憲法)より。判例の趣旨との合不合を問うもの。設問の全体については、憲法:基本的人権。
民法723条は次のように定めています。
- 723条 他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。
名誉毀損があったときに、裁判所は、名誉回復のための「適当な処分を命ずることができる」んですね。ここでいう「適当な処分」に、新聞に謝罪広告を掲載する、というのがあります。
ところが、判決が出て、名誉毀損があったということが裁判所によって確定されたとしても、「加害者」本人としてはそれを認めず、「謝罪」の意思なんか全然ない、ということがありえます。そうすると、「加害者」としては、心にもない「謝罪」を、裁判所の命令によってさせられることになりますが、それは憲法19条が保障している「良心の自由」を侵害することになるんじゃないか、だからそういう命令は違憲なんじゃないか、という話になってきます。
- 19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
この点についての判例は、謝罪広告強制事件の判例です。これは、選挙のときに、対立候補が汚職していた、ということを政見放送や新聞で公表した候補者が、名誉毀損だとされ、「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します。」という謝罪広告を新聞に掲載することを命じられた事件です。
これについて最高裁は、「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のもの」であれば問題ないとします。上の謝罪文は、
結局上告人をして右公表事実が虚偽且つ不当であつたことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する。されば少くともこの種の謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずる原判決は、上告人に屈辱的若くは苦役的労苦を科し、又は上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられない
というわけで、謝罪広告の掲載命令を違憲ではないとしました。ただし、
尤も謝罪広告を命ずる判決にもその内容上、これを新聞紙に掲載することが謝罪者の意思決定に委ねるを相当とし、これを命ずる場合の執行も債務者の意思のみに係る不代替作為として民訴734条に基き間接強制によるを相当とするものもあるべく、時にはこれを強制することが債務者の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由乃至良心の自由を不当に制限することとなり、いわゆる強制執行に適さない場合に該当することもありうるであろう
という留保もついています。
しかしいずれにせよ、選択肢にある「事態の真相を告白し陳謝の意を表明する程度の謝罪広告」であれば違憲ではない、というのが判例の趣旨ですから、選択肢2は判例の立場として正しいことを述べています。
衆議院選挙に際して、他の候補者の名誉を毀損した候補者が、裁判所から、民法723条にいう「名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分」として、「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」という内容の謝罪広告を公表することを命ずる判決を受けたので、謝罪を強制することは思想・良心の自由の保障に反するとして争った事件。最高裁は、謝罪広告の中には、それを強制執行すれば、「債務者〔加害者〕の人格を無視し著しくその名誉を毀損し意思決定の自由ないし良心の自由を不当に制限すること」となるものもあるが、本件の場合のように、「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表するに止まる程度」であれば、これを代替執行によって強制しても合憲である、と判示した(略)。この判決には、事物の是非弁別の判断に関する事項の外部への表現を判決で命ずること、あるいは、謝罪・陳謝という倫理的な意思の公表を強制することは、良心の自由を侵害し違憲である、という反対意見が付されており、それを支持する学説も有力である。
憲法19条で保障された思想・良心の自由の範囲は、人の内心の活動一般であるのか、一定の内心活動に限定されたものであるのかが次に問題になる。最高裁謝罪広告事件判決のなかでこの点が論議されている。
(略)名誉段損の民事事件において、名誉を回復するのに適当な処分(民法723条)として判決により新聞紙上に謝罪広告の掲載を命じられた被告が、良心の自由を侵害するものとして上告した事件である。多数意見は、公表事実が虚偽かつ不当であったことを広報機関を通じて発表すべきことを求めるに帰する原判決は、上告人の有する倫理的な意思、良心の自由を侵害するものではなく合憲と判断した。また、田中耕太郎裁判官の補足意見は、「憲法19条の『良心』というのは・・・宗教上の信仰に限らずひろく世界観や主義や思想や主張をもつこと」であるが、「謝罪の意思表示の基礎としての道徳的の反省とか誠実さというものを含ま」ず、本件は憲法19条と無関係であると判断した。これに対して、藤田八郎裁判官の反対意見は、「良心の自由」とは「単に事物に関する是非弁別の内心的自由のみならず、かかる是非弁別の判断に関する事項を外部に表現するの自由並びに表現せざるの自由をも包含するものと解すべき」であり、「本件のごとき人の本心に反して、事の是非善悪の判断を外部に表現せしめ、心にもない陳謝の念の発露を判決をもって命ずるがごときは」、まさに憲法19条に違反すると判断した。また、垂水克己裁判官の反対意見は、「謝罪」、「ここに陳謝の意を表します」との文言を用いた部分は「本人の信条に反し、彼の欲しないかもしれない意思表明の公表を強制するものであって」、憲法19条に違反すると判断した。
多数意見は良心の自由の範囲について明確な判断を示していない。田中裁判官の補足意見は、良心の自由が「宗教上の信仰に限らずひろく世界観や主義や思想や主張をもつこと」であるが、「道徳的の反省とか誠実さ」を含まないという限定説をとっている。これに対して、藤田裁判官の反対意見は、「事の是非善悪の判断」ないし倫理的判断を良心の自由の範囲に含める広義説の立場を明らかにしている。
衆議院議員選挙に際して別の候補者の名誉を殻損したとして、裁判所から民法723条により謝罪広告を命ずる判決を受けた候補者が、謝罪の強制は思想・良心の自由の保障に反するとして争った事件である。謝罪広告の内容は「右放送及記事は真相に相違しており、貴下の名誉を傷け御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」というものであったが、最高裁は、これを「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表するに止まる程度」と解し、これを強制しても合憲であるとした(略)。
この判決には、謝罪という倫理的な意思の公表を強制することは良心の自由を侵害し違憲である、という反対意見があり、学説にも判例を支持する立場(合憲説)と批判する立場(違憲説)の両者が存在する。前者は、(前記B説の限定的理解をふまえて)思想・良心には、謝罪の意思表示の基礎にある道徳的な反省とか誠実さのような事物の是非、善悪の判断などは含まないとして、(事実の存否の問題に帰着する)謝罪の強制は思想・良心の自由を必ずしも侵害するものではないとする(略)。これに対して、後者は、謝罪・陳謝という行為には一定の倫理的な意味があることを重視して、謝罪広告の強制は違憲になるとする(略)。日本では従来から謝罪広告を判決で強制し、これは人格形成には直接関わりがないと考えられてきたとしても、「陳謝します」と言明する前提には反省や善悪の判断が伴うことが通常であり、前説の説得力には疑問があると思われる。
名誉致損の救済方法として,謝罪広告を命ずることが,思想・良心の自由を侵害するか否かが争われた事件で,最高裁は,「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のものにあっては」,これを代替執行の手続によって新聞紙に掲載することを命じても,被告の倫理的な意思や良心の自由を侵害することにはならないとした(略)。この判決には,「謝罪」あるいは「陳謝の意を表します」という文言を被告の意に反して用いた広告の掲載を強制することは,憲法19条に違反するとの反対意見が付されている。単に,事実を明らかにして名誉を回復する処置をとることは,これを強制しうるであろうが,被告の意に反して「陳謝」の意を表する広告を掲載させることの合憲性は疑わしい。
長谷部恭男 『憲法 第4版』 192-193頁
思想・良心とは,人の内心,すなわち心または頭脳の中に形成・蓄積・忘却され,あるいは形成・蓄積・忘却されつつあるすべての意識を意味するのか。それともそれに一定の絞りをかけたものを意味するのか。(略)
学説は,「内心におけるものの見方ないし考え方」が憲法の保障する思想・良心とする内心説(広義説)と,そのうちの信仰に準ずべき世界観・人生観など個人の人格形成の核心をなすもの,つまり価値観・主義・信条などに限られるとする信条説(狭義説)に分かれる。
判例の立場は必ずしも明確ではないが,名誉段損による不法行為が問題となった事案で,名誉を回復するのに適当な処分として謝罪広告の掲載を命じることが「倫理的な意思,良心の自由を侵害することを要求するものとは解せられない」としているので,信条説をとったものと解される。
渋谷秀樹 『憲法』 306頁
民法は,名誉段損に対する救済として,損害賠償に代えもしくは損害賠償に加え名誉を回復するためのその他の手段を用いることを認めている(民法723条)が,現在そのような方法として広く用いられているのが新聞等への謝罪広告の掲載強制である。はたしてこれは,良心の自由を侵害しないか。
(略)衆議院議員総選挙で立候補した被告は,その選挙運動中別の候補者である原告が県副知事在職中汚職をした旨の発言をしたため,原告から名誉鍛損を理由に損害賠償と謝罪広告を求められ,第1審で敗訴した。控訴審でも控訴を棄却され,謝罪広告の強制は良心の自由を侵害するとして最高裁判所に上告した。最高裁判所は,謝罪広告の中には強制することが人格を無視することとなり強制執行に適しない場合もありうるが,本件のような「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のもの」であれば,その掲載を命じることが屈辱的ではなく,良心の自由を侵害するものではないと判断した。田中裁判官は,良心の自由は世界観や主義思想を指し謝罪の意思表示の基礎としての道徳的反省などは含まれないとした。反対意見は,良心の自由は単に事物に関する是非弁別の内心的自由のみならず,是非弁別の判断に関する事項を外部に表現するしないの自由をも含み,謝罪の強制は良心の自由を侵害するとした。(略)
しかし,自分に非がなかったと思っている者に強制的に非を認めさせることは明らかに良心の自由の侵害であり,憲法上許されないというべきである。訂正広告の強制や反論文の掲載の強制といった他の代替手段を考えるべきであろう。