等価機能主義の方法論的検討(仮題)

  • ごはん食べてきたのでちょっと中断したがまた再開。(0:20)
  • 第2節イントロ(10段落)まで。ルーマンはデビュー論文で等価機能主義を掲げたけど、その定式化は死ぬまで変わらなかったよ。その意義を理解するにはそれ以前の機能主義の構造と問題点を確認する必要があるよ。(0:57)
  • 第2.1節途中(15段落)。ルーマン以前の機能主義を機能的説明と一括。その論理と、内部の相違を明確にするために、方法、方法論、理論の三水準を導入。「機能を発見せよ」が方法。「機能を発見すると事象の説明になるよ」が方法論。「なぜ機能発見が説明になるか」が理論。(2:13)
  • 第2.1節完成(17段落)。機能的説明では、方法論の妥当性が理論の妥当性に依存する構造になっているため、理論上の破綻が方法論の破綻に直結する。(3:54)
  • ちょっと寝る。(4:35)
  • 起きた。再開。(9:46)
  • 第2.2節途中(20段落)。機能的説明は因果的説明じゃないよ。機能的説明には目的論による逆因果的説明と、存立要件理論による論理的説明の二種類があるよ。(10:26)
  • 第2.2節途中(22段落)。目的論ていうのは最終結果とそこに至る過程が決まっているとする理論であって、それが成り立つなら、結果から原因を説明する逆因果的な機能的説明が可能だが、自然科学の対象世界がそうなっているというのはちょっと考えにくい。ところが社会科学の場合は、行為者がある程度自由に目的設定できるので、あとはその実現に向けた合理性能力を仮定することができれば、最終結果とそこに至る過程が確定し、それゆえ目的の最適実現を機能として、被説明項である事象(行為=手段選択)を機能的に説明することが可能だよ。(ちょっと休みすぎた。)(15:46)
  • 24段落。でもその議論は個人行動には仮に適用できたとしても、集合体にはまず適用できないよ。集合体が目的を設定してそれに向けて完全に統制された挙動をとるなんてことはありそうにないよ。だから因果関係によって機能を定義するのであれば、原因→結果→元の原因という互酬的な因果関係を設定して通常の因果的説明を詳しく書いていくしかないけど、それはもう因果的説明でしかなくて、独自の意味を持った機能的説明とはいえないよ。(17:20)
  • 今後の自分に対する忠告。最初から完成版を書こうとするのはやめよう。思いついたことはそのつどある程度ゆるく文章化しておき、並べ替えたり書き直したりすればある程度の出来の論文になるようにしておこう。
  • 27段落。存立要件理論は、システムにはこれこれの存立要件があるよという理論命題と、いまシステムが存立しているよという事実命題から、要件充足的な事象の存在を論理的に説明するもの。ところが存立要件理論自体が自明な理論ではないし、本当は論理的に説明できるのは要件が充足されているということまでで、その事象が要件充足していなければならないということまではいえないという、機能的等価物の存在可能性に依拠した批判が致命傷を与えたよ。(21:50)
  • 第2.2節完成(31段落)。機能的説明という方法論の説得力の弱さは、因果律という理論前提に比した場合に、目的論や存立要件理論といった理論前提が、はるかに弱い説得力しか持っていない(完成度が低い)ことに直接由来するよ。でもまあ、説明するという目標にとっては、機能にこだわる必要はなくて、因果的説明でいいじゃないか。じゃあ機能ってもういらないの? というわけで次からルーマンが登場することになる。(22:46)