憲法:絶対的平等と相対的平等 司法書士試験過去問解説(平成22年度・憲法・第1問)
平成22年度司法書士試験(憲法)より。穴埋め問題の抜粋。設問の全体は、憲法:法の下の平等。
また,「平等」の意味を,相対的平等,すなわち,等しいものは等しく取り扱い,等しくないものは等しくなく取り扱うべきであるという意味に理解すると,その帰結は,( B )ということになる。
語句群
- ア 法内容の平等
- イ 法適用の平等
- ウ 形式的平等
- エ 実質的平等
- オ 機会均等
- カ 配分ないし結果の均等
- キ 拘束される
- ク 拘束されない
- ケ 差別的取扱いは絶対的に禁止される
- コ 不合理な取扱いだけが禁止され,合理的区別は認められる
- サ 前者の考え方
- シ 後者の考え方
まあはっきり言って、設問文のこの直前の部分で問われていた形式的平等と実質的平等の区別と、ここで問われている絶対的平等と相対的平等の区別が、きちんと意味わかる形で区別されているようには思わないのですが。
しかしともかく、ここでは「相対的平等」が
等しいものは等しく取り扱い,等しくないものは等しくなく取り扱うべきである
と定義されている以上、その反対である「絶対的平等」は
等しいものも等しくないものも等しく取り扱うべきである
という立場だろうな、ということはわかります。「等しく取り扱うべき」というのを「差別的取扱いの禁止」と読み換えるなら、取扱いの対象が等しいか等しくないかに関係なく、「絶対」に、差別的取扱いを禁止するということですから、
- ケ 差別的取扱いは絶対的に禁止される
というのが、「絶対的平等」を表した選択肢だということがわかります。ということは、設問で問われている「相対的平等」の方は、それと対になる選択肢というわけで、
- コ 不合理な取扱いだけが禁止され,合理的区別は認められる
が正解です。
ここで少し、なぜ平等が相対的だと、合理/不合理の区別が話に登場してくるのか、という点を考えてみます。
まず、「等しいものは等しく、等しくないものは等しくなく取り扱う」というやり方がなぜ「相対的」と言われるのかというと、つまり、取扱い方を等しくするか等しくしないかが、取扱いの対象が等しいか等しくないかに応じて決まるからです。「応じて決まる」というのを言い換えると、等しいか等しくないかに相対的に決まる、ということになります。
絶対的平等の場合、つまり等しかろうが等しくなかろうが、つねに等しく取り扱うんだ、というのであれば、まあそれは目をつむっていてもできます。対象の在り方とは関係なく、取扱い方は決まっているわけですから。
しかし、相対的平等のように、取扱い方を対象のあり方(等しいか等しくないか)によって変えるという場合には、注意が必要になってきます。なぜなら、互いに等しい人間というのはいないからです。人間が二人いれば、この二人は別人です。「等しくない」のです。
ということは、「等しいものは等しく」というときの「等しい」というのは、「完全に等しい」ということではありえません。「ある点において等しい(がそれ以外の点においては異なる)」ということなはずです。となると、ある種の取り扱い(たとえば課税)において、対象が等しいか等しくないかによって差別的な取扱いをしようとするなら、「どの点の等しさ/等しくなさを差別的取り扱いの基準にするか」ということを決めなければなりません。「決めなければならない」ということは、基準の設定の仕方に複数の可能性があるということであって、可能性が複数ある以上、そのあいだには合理/不合理の違いも生まれてきうるということになります。だから、相対的平等においては、取扱いの(つまり基準設定の)合理性/不合理性が問題になるわけです。
法の下の「平等」とは、各人の性別、能力、年齢、財産、職業、または人と人との特別な関係などの種々の事実的・実質的差異を前提として、法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うことを意味することである。「平等」とは絶対的・機械的平等ではなく、相対的平等だと言われるのは、その趣旨である。したがって、恣意的な差別は許されないが、法上取扱いに差異が設けられる事項(たとえば税、刑罰)と事実的・実質的な差異(たとえば貧富の差、犯人の性格)との関係が、社会通念からみて合理的であるかぎり、その取扱い上の違いは平等違反ではないとされる。
事実上の差異に着目するとき、平等原則は、等しいものは等しく、等しくないものは等しくなく取り扱うべきだという相対的平等の意味に理解されなければならない。このように解するのが通説である(略)。そしてそのように解するとき、それは合理的な区別は認め、不合理な差別的取扱いだけが禁止されるという意味になる。
14条1項が定める「平等」とは、いかなる場合にも各人を絶対的に等しく扱うという絶対的平等の意味ではなく、「等しいものは等しく、等しからざるものは等しからざるように」扱うという相対的平等を意味するもので、合理的な理由によって異なる取扱いをすることは許されると解するのが通説・判例の立場である(相対的平等説)。したがって、合理的な理由によらない不合理な差別のみが禁止されることになるが、何が合理的な区別で、何が不合理な差別になるかという基準を設定することは必ずしも容易ではない。
もっとも,立法者に対して要求される平等の中身は,前述したように,一見して明らかとはいいにくい。法は,一定の要件に一定の法的効果を結びつけるものであるから,あらゆる法は,広い意味では差別をしていることになる。判例は,憲法14条の平等の要請を,「国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく」,「事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨」として理解している(略)。したがって,問題は,法の定める取扱いが合理的な根拠に基づく差別か,それとも不合理な差別かとなる。
長谷部恭男 『憲法 第4版』 174-175頁
各人の個性や能力などの相違を一切無視して,一律均等に取り扱うこと,すなわち絶対的平等が基本となる。(略)各人の相違を無視して均等に扱うことが,逆に不公平となることがある。この扱いを実質的にみた場合,現実に存在する不平等な状態をますます拡大する結果をもたらすこともある。そのときには,逆に各人の相違を考慮して取扱いに相違・区別を設け,実質的公平をはからねばならない。こうしてなされた平等な取扱いを相対的平等という。(略)
相対的平等は, グループAに属する人とク勺レープBに属する人との聞の取扱いについて,法律などによって区別を設け,実質的公平をはかろうとする。ところが,人間価値の平等からいうと,原則は絶対的平等となるはずである。とすれば, この原則に対する例外が許されるのか,そこで設けられた取扱いの区別が,憲法の定める平等という要求を満たすか否かを実質的に吟味しなければならなくなる。つまり,その取扱いの区別には確たる根拠があるのか,またそれが合理的なものか否かが問われるのである。
渋谷秀樹 『憲法』 191-192頁