ロバート・リンド『何のための知識か』

Knowledge for What?: The Place of Social Science in American Culture

Knowledge for What?: The Place of Social Science in American Culture

米国のamazonで古本を買ったのだが、きつい香水の匂いが染み付いていて気持ち悪くなる・・・まあそれはともかく。

 それゆえ、すべてのものが相互依存しているとどれだけ言ってみても、我々を取り巻く専門化の流れの中では、社会科学者の目には遮眼帯がつけられ、自分がどんな問題を扱っているかを述べるときにも、あたかも経済的、政治的、あるいは社会的問題を個別に取り出して扱っているかのような言い方しかできない。本を書くときには、免責語のつもりで「他の条件が等しければ」とか「もちろんここには多くの社会的[経済的、政治的]要因が含まれていることを見過ごしてはならない」といった言葉を書き散らすわけだが、そうしたからといって、元々の問題呈示によって強制される抽象から、我々も我々のデータも救い出されるわけではない。
(p. 16)

ルーマン「機能と因果性」で「他の条件が等しければ」という「免責語」(exculpating phrase)という言葉を引用している箇所。