関東社会学会第1日目

 開催日と開催校しか知らないままで筑波に向かう。10時前くらいに着いて、これはやばいなあ、もう始まってるだろうなあ、と思っていたら、なんと本番は午後からで、午前中は修論書き終えた人のための「修論フォーラム」だった。2つあるうちの片方に出る。

セッション1〔1B棟・2階 1B202講義室〕
司会:奥村  隆(立教大学

1. 「東京帝大新人会の歴史社会学――政治的主体としての『青年』の成立と帰結」


後藤 美緒(筑波大学
コメンテーター:井腰 圭介(帝京科学大学

2. 「文化大革命の記憶と忘却――回想録の出版にみる記憶の個人化と共同化」


福岡 愛子(東京大学
コメンテーター:片桐 雅隆(千葉大学

3. 「中絶はなぜ「悲しいこと」か――『身体的』経験のつくる齟齬と孤立の形」


熱田 敬子(早稲田大学
コメンテーター:柘植 あづみ(明治学院大学

後藤さんの報告にちょっとだけ質問させてもらう。熱田さんお久しぶりでした。途中で上野先生がいらっしゃったので会釈程度ですが挨拶。
 昼ごはんどうしようかと思ってうろうろするが、東大の院生とか誰一人いないので、早稲田の周藤真也さんに声をかけてご一緒させてもらう。筑波ご出身だそうで、定食屋を教えてもらった。しかし筑波は広いですね。自然も多いし。
 午後は理論部会に出る。

第1部会:理論〔1B棟・2階 1B202講義室〕
司会:奥井 智之(亜細亜大学

1. 歴史の中のフーコー①――フーコーにおける「越境可能性」の再考


堀内 進之介(首都大学東京

2. 歴史の中のルーマン②――ルーマンにおける『社会の教育システム』の再考


鈴木 弘輝(首都大学東京

3. 『再生産について』再考――アルチュセールイデオロギー論の再考と可能性


今野 晃(専修大学東京女子大学

4. ハンナ・アーレントにおける共通感覚論をめぐって


橋本 摂子(東京工業大学

 堀内さんも鈴木さんもしゃべるのうまいなあと感心。このプロジェクト、近々本になるそうです。さて鈴木さんの報告に対して少し質問させてもらった。ルーマンが教育システムのメディアを「子供」から「ライフコース」に変えたのは、教育システムのメディアが実際に「子供」から「ライフコース」に替わったからだ、という議論に対して、「鈴木さんも(ネタ元である保田卓さんも)その「変化」を記述できているというのに、なぜルーマンはその変化を記述するのではなく、自分の議論自体を勝手に変化させてしまったのでしょうか。何か理由があるのでしょうか。」お答えは「よくわからん」だったような気がするがどうだったか(馬場靖雄さんがハイダーのMedium/Formを取り入れたからだとフォローしてくれたが)。あと、橋本さんの報告は文章が大変よくてそのうち論文読ませてもらおうと思ったのだった。
 さて、この部会の前半、窓際で私の斜め前に座っていた浅野智彦さんに直射日光が降り注ぎ、しかも黒い服を着ておられたので、尋常ではない熱量を吸収しているはずなのに、平気のように移動もせず座っているので、やはり一流の学者は心頭滅却ということができるのだすごいなあ、と他人事のように感心していたら、後半になると浅野さんは陰に入り、今度は自分が直射日光を浴びることになってしまった。しかし浅野さんが動かなかったのに自分が動くわけには行くまいと思ってじっと耐えたのであった。汗をかいてもすぐ蒸発して流れないほどの暑さだった。・・・うーん、しかし実にどうでもいい話だw。
 帰りは、報告を終えた池田和弘、村井香織の両氏と合流して途中まで一緒に帰ったでコロン(cf. オモッチャマ)。
 えー、何が言いたいかというと、固有名詞の多さから察せられるとおり、久しぶりにみなさんに会えて楽しかったよとw。
 2日目に付いてはまた後ほど。