speak of 〜

 英語文献で「speak of 〜」と出てきたら、「〜について語る」と訳す約束になっているようだ。逆に、訳書に「〜について語る」と出てきたら9割方「speak of 〜」の訳だと考えて間違いない。
 しかしこの約束はまったく間違いなので、以後使わないようにしてもらいたい。「speak of 〜」というのは「〜という言葉を採用する」「〜という言葉遣いをする」という意味であって、「〜について語る」(いったい何を?)などというたいそうなあれではない。
 例はどこにでも無数に転がっているが、たったいま私が読んでいるラドクリフブラウンの『未開社会における構造と機能』から引用してみよう。訳書ではこうなっている。

一般的に社会諸制度の理論研究は、通常は社会学であるとされている。しかしこの名称は社会についての多様な種類の著作に対して、漠然と用いることができるので、我々はもう少し特定的に、理論社会学もしくは比較社会学について語ってもよいだろう。(p. 7)

社会制度の研究が社会学だとされているが、この名称は漠然としている。ここまではまあいいとして、何で急に理論社会学ないし比較社会学話を始めないといけないのか!この訳し方では、この部分では一貫して名称の議論をしているということが見えにくいのだ。原文は次のとおり。

The theoretical study of social institutions in general is usually referred to as sociology, but as this name can be loosely used for many different kinds of writings about society we can speak more specifically of theoretical or comparative sociology. (p. 2)

「be referred to as 〜」も名称・言葉遣いの話をするときに用いられる表現であることにも注意したい。というわけで私なら次のように訳す。

社会的制度一般を対象とする理論研究は社会学と呼ばれるのが普通だが、この名称は社会に関する多様な議論全般を漠然と指すことがあるので、本書では特に理論社会学、あるいは比較社会学という言葉を用いることにする。

お手許の訳書で「〜について語る」と訳されて意味不明になっている箇所を、言葉遣いの話だと思って読んでみてほしい。多分それで意味が通るはず。ちなみに同様のことはフランス語やドイツ語で対応する表現にも言える。

追記

読み進めていたら、上記訳書の訳者は「refer」の意味がよくわかっていないらしいことがわかった。

英語の通常の使用法では「カルチュア」は、耕作とほぼ同一の概念を持っているのであって、過程と関係している。(p. 10)

正直意味不明だが(いくらなんでも文化と耕作が「ほぼ同一」なわけがない。語源が同じだとしても。)、原文を見ると明確である。

In its ordinary use in English 'culture', which is much the same idea as cultivation, refers to a process (p. 4)

要するに、cultureという言葉は、cultivation(cultivateという動詞の名詞化)という言葉と大体同じことを意味しているのであって、それゆえ一つの過程を指す言葉だ、と言っているのである。単に「関係している」のではなくて、「文化」という言葉の指示対象は(動詞が表すような)一つの過程だという議論なのである。
 一般に、refer, referenceを「関係(する)」と訳すのは、だめな訳書の典型的な症状であるといえる。(ただ上記訳書はそんなに悪くないけど。)ルーマンの機能分析のBezugsproblem(reference problem)を「関係問題」とかやっているのもあったなあ(しみじみ)。

さらに追記

 ところでラドクリフブラウンの所説では、social realityはentityではなくてprocessだとなっているのが、この訳書では、「社会的実体」は「存在」ではなくて「過程」だとされている。・・・過程は存在しないですか。