綜合は要素間の相互独立を要する

これら3つの構成要素[=情報、伝達、理解]は、いずれも単独では現れることができない。それらが共同しあうことによってのみ意味の選択的な処理がおこなわれ、コミュニケーションを産み出すことができる。だから、3つの選択の総合ということが強調されているのである。
(長岡本、p. 289)

太字部分は間違いだと思う。総合(綜合)というのは別々に現れうるものが偶然的に一緒になることをいう。常識的にも、話しかけたけど気づかれなかったorzみたいなことはよくある。「それらが共同しあうことによってのみ(中略)コミュニケーションを産み出すことができる」は正しいが、それは太字部分のような言い方を要求しない。もし構成要素間の結合が必然的であるなら、綜合ではなくて分析というべきだ。