どんな本も多色刷りに見えるルーマン
' Gibt es eigentlich den Berliner Zoo noch?'. Erinnerungen an Niklas Luhmann
- 出版社/メーカー: Uvk Univers.-Vlg Konstanz
- 発売日: 1999/11
- メディア: ペーパーバック
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これまで2回にわたって、ルーマンとデリダの邂逅のシーンについての報告を紹介してきました(その1、その2)。
今回はThyssenさんの文章の続きで、面白エピソードを一つ紹介します。Thyssenさんが最初にルーマンを知ったのはハーバーマスの『近代の哲学的ディスクルス』での『社会的システム』の批判だったそうです。この読書体験をきっかけに彼はルーマンにのめりこんでいきます。プラトンの対話篇を読んでソクラテスでなくソフィストの方に関心を持ってしまったみたいな感じ、とご本人は表現されております。
さて、ルーマンを読み進めるに従って、ルーマン読みなら誰でも感じているであろう次のような感覚を抱くようになります。
この疲れを知らないテクストマシーンが読み、そして書いた圧倒的な量の文章を前にして、わたしは劣等感を抱くようになりました。(p. 146)
そこで、Thyssenさんはルーマンに問い質すことにします。あんたほんとにあれ全部読んだのか、と。
何年かした後、私はルーマンに、参照したテクストは実際に全部読んでいるのですか、と訊ねました。すると彼から驚くべき答えが返ってきました。実際に全部読んでいるわけではないが全部理解している、と! 彼の脳味噌には何か超人的な性能が備わっているに違いありません。1994年にオスロで開いたプライヴェートなディナーパーティで、わたしはこの思いを強くする話をルーマンから聞きました。なんと彼には、読んでいるテクストの文字が色分けされて見える異常な能力があるというのです。(p. 146)
・・・(特にコメントはありません。)