David Fincher監督『The Curious Case of Benjamin Button』 (邦題:ベンジャミン・バトン 数奇な人生)

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 [Blu-ray]

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 [Blu-ray]

長尺も、苦痛に感じるほどではないが、特に感動もない。淡々と観終わり、何も残らない。 Roger Ebert も「もう一度観たいという人はあんまりいないだろう」と言っているが、ほんとにそう。
何よりも作り手たちが「若返る人生」というのがどういうものになるのかきちんと考えてないことが、すべての原因だと思う。肉体の変化というある種の科学考証が最大のポイントになるが、ここがすごく適当。
この映画では、Benjaminは「老人として生まれて赤ん坊として死ぬ」のではない。「赤ん坊として死ぬ」のではあるが、「老人のような赤ん坊として生まれる」のである。だから、生まれてからある程度の年数は、老人的な赤ん坊からちゃんとした老人になるまでちゃんと「成長」するのだ(背が伸びるとか)。これは、母親の子宮から誕生しなければならないという自然な条件から考えて無理のない設定だと思う。
しかし、それならば、それに対応した死に方は、「赤ん坊のような老人として死ぬ」でなければならないはずだが、この映画では、少なくともある年齢以降になると、本当に成長のプロセスを逆にたどって、体がどんどん小さくなり、子供になり、最後は赤ちゃんになって死ぬわけだ。なんで一旦成長した体が小さくなるの? どうやって? アポトキシン4869飲んでるの? 映画では、子供の身体だけど痴呆を発症するという場面はあったが、結局とってつけたものでしかない。あと、誰も医者に診せようとしないのもいかがなものか。
さて、普通に加齢する Kate Blanchett との恋愛が映画の大きなテーマだが、ここについても、問題が起こる前に Brad Pitt はどっか行ってしまうので、何も見せてもらえない。そこ見せないで何を見せたかったの?
もともと「幼馴染」でありながらいろいろすれ違いがありつつも、アラフォーで再会した二人は今度こそくっつく。で、子供ができる。Benjamin は、自分は親にはなれない、「君は二人も育てられない」とか言って、放浪の旅に出ていくのだが、まず、わかってんなら避妊しろこの馬鹿。そして、二人育ててる母親なんていくらでもおるわ! そもそも、40歳で子供が生まれて、それほど手がかからなくなる10歳の時点でお前は30歳だろ。育ててもらってんじゃねえよ。おそらく問題は、その後、妻は50代に入り、娘は年頃になり、自分は20代になる、といったあたりで生じてくるはずだ。そこで起こる様々な問題に苦しみつつ、何らかの解決を与えることで感動って生まれてくるもんじゃないの? ところが懸命なる Benjamin Button と頭の使い方を知らない作り手たちは、問題を予防するために放浪に行かせてしまうわけだ。インドとか行っちゃって、なんか、昔船で世界を旅したのが忘れられなくなったダメな風来坊という感じにしか見えないよ。
「起こる問題を先取りして予防する」という点では、主人公の成長する場所を老人ホームにしたのも懸命というか馬鹿というか。これによって、「子供なのに老人」ということで現実は激しく発生するであろう差別やいじめが、まったく存在しない世界になっている。そんな、漂白消臭された枠の中で人生とか説いてんじゃねえよ。
今際の婆さんが日記読んでもらいながら回想するというフレーム設定も、まったく効果を発揮してないし、というかあんたその日記初見? とっくに読んでるはずでは? こういうメタ構造の場合、回想内部の物語が、現実の物語に何かいい影響を与えて初めて話が終わる、というのがセオリーだと思うが、そこも何にもない。そう、とにかく何もない、というそういう映画。