東野圭吾『変身』

変身 (講談社文庫)

変身 (講談社文庫)

脳の一部を移植したらドナーの性格が徐々に転移して乗っ取られる。政府の偉い老人たちは脳移植を繰り返して永遠の生命を得るために脳移植研究に莫大な予算をつけ、殺し屋も雇う。美人の大学助手がデータを得るために自分の体を被験者に(性的に)提供する。自分を殺しかけた犯人が脳移植のドナーだった。
といった、厨二病的妄想をリアリティの基幹に据えるのは、それはそれでなしではないが、そのためには、それ相応のディテイルの描写とか設定が必要になるだろう。この作品にはそれがないので、物語のリアリティ水準の設定としては、以上の少年漫画的設定が、すべて主人公の「妄想」だったというのが正解一択。だからそれが明らかになる瞬間と、それによる世界観の反転のショッキング度合いが、作品の肝となるだろう・・・と思って読み進めていたら。
なんと、すべてが現実の話という、ある意味で驚きの結末で唖然とした。これじゃただの厨二病じゃないか。
それから次のような描写はすごく気になる。主人公は高級レストランで美人助手とディナーをとっている。

「無責任なことをいうな」 俺はコーヒーをまぜていたスプーンを投げつけた。直子の白いブラウスにコーヒーのしずくが飛び、茶色い染みを描いた。 (271頁)

この場面、どうやって投げたのかが、どうしてもイメージできない。テーブルの上、おそらくは手前の方でコーヒーカップにスプーンを突っ込んで回している。相手の言葉に瞬間的に怒った主人公は、スプーンを投げる。しかし、その動作はどういうものだろう。
腕全体を使い、上から下に振り下ろすように投げるには、投げる前に振りかぶらないといけない。しかしそうやって2段階の動作にしてしまうと、瞬間的な怒りの表現にならない。
手首の、上から下へのスナップだけで投げるなら、コーヒーを混ぜていたわけで手はテーブルの上すれすれにあり、この動作ではスプーンは前に飛んでいかない。下に飛んで、すぐテーブルに激突するだろう。
手首の、下から上へのスナップで投げるなら、前には飛ぶが、コントロールが難しいし、そもそも動作が小さすぎて、怒りの表現にならない。相手は何が起こったのか理解できないだろう。まあともかく、文章のすみずみにまでコントロールが効いているとは思えない。
最後に、最も重大なこととして、この作品の唯一と言っていいくらいの演出効果は、地の文における主人公の一人称が「僕」から「俺」に変化するところで、いや、それ自体が陳腐なのだが、そして一回変わったらもう一回も戻らないというのもアレなんだが、問題は、この「地の文」の地位が不明だということ。主人公が日記を書いているという描写はあって、この日記が「地の文」なのかな、とも思わないでもないが、日記にしては装飾過多で長すぎる。日記を書くのに一日かかるだろう。まああれか、これについてもあんまり考えてないということか。