人文総合演習 第9回



報告者の基本的な立場は「犯罪をした精神障害者には治療や保護を受ける権利と義務がある」というものでした。一定の抽象水準においては、非常に明確な命題だと言えるでしょう。ところが他方で、「刑の減軽には賛成できるが、罰しないというのにはとうてい賛成はできない」ともいいます。ということは、刑罰というのは精神障害の治療・保護として有効だということなのでしょうか。それとも、精神障害の治療や保護というのは、ある種の刑罰だということなのでしょうか。
議論構築において、このような曖昧さが出てきてしまうのは、ある現象やある制度を議論の俎上にのせるときの抽象化が不十分だからです。どんな具体的な対象も、様々な側面を持っています。だから二つの対象について、この点では同じだが、こっちの点では違う、といったことが言えます。いまどの点について、つまりどの側面を取り出して議論しているのかを明確にすることが、十分な抽象化を行うということになります。
今回の例でいうと、刑罰も治療も、犯罪者に対して国家権力が強制的に何かを行うという点、また「普通の人々の正常な日常生活」から逸脱した人に対して、そこに戻そうという目的がある点、犯罪行為の後、しばらくの間は当人の自由を奪い、どこかに閉じ込めておくことによって、正常な日常生活から排除することができる点、などなど、においては共通しています。他方で、実際に当人に加えられる処置を詳しくみていくなら、刑罰と治療の間で異なる点がいくつも見つかるでしょう。そのため、今回のような実践的な効果を狙った議論を構築するにあたっては、(1)それぞれの側面についての比較(異同の発見)がまず必要で、それから(2)各側面同士の間の優劣関係(つまりどの側面を最重要視するか)についての評価をし、(3)それらに基づいて、実践的な提言をする、という順番になるでしょうか。
それから、演習の場での議論で少し気になった点として、犯罪行為成立時点で心神喪失であって有責でないがゆえに罰を課さない、という立場と、罰を課す時点で心神喪失であって罰が無意味だから罰を課さない、という立場が、議論の中で混じり合っていたように思います。この二つは全く違う議論であることに注意しましょう(出席者のコメントにも混同したものがありますね)。
あと、どうしても議論が、「犯罪者ではない我々」の立場からのものになりがちです。ある程度仕方ない面もありますけどね。ただ、「あいつら」をどう処遇するかを議論しているとき、我々はあいつらを処遇する側に立ってしまいがちですが、実際は、我々の多くは「処遇する側」=権力の側にはいません。「あいつら」を厳しく処遇しろという主張は、「処遇する側」の力を強めることになりますが、その力は潜在的には「我々」の方にも向かってきうるものです。この種の想像力も、制度設計や制度批判をする場合には重要です。
その流れで蛇足をば。昔、評論家の呉智英が「差別もある明るい社会」という言い方をしましたが、それに倣って、「犯罪もある明るい社会」と「犯罪のない暗い社会」とどっちがいいか、という問題設定ができるかもしれません。後者は要するに警察権力が極度に強まったディストピア的監視社会です(まあ現実に存在したのは「犯罪もある暗い社会」ですが)。
ええと、最語に演習の進め方について。コメントで不満が出ていて、まあ内容はもっともなことです。他方で、未熟なんだから仕方ないよね・・・という気持ちもあります。たとえば、あと20秒待ってくれたら発言するのに、と思っているところで、司会者が沈黙に耐えられなくて議題を強く設定してしまう、とか。予定の流れに無理に持っていくとか。全員の顔を見るのは怖いので知り合い度の高い人の方ばかりついつい向いてしまうとか。議論の場の雰囲気は、司会者の振る舞い方に強く依存しますが、そこで求められる能力はかなり高い、ということで、まずいところは出席者の側でも補ってあげてください。そのうえで、私から司会者に一言いうなら、「戦略を口に出して言うのはやめようね」ということですかね。ついつい口に出してしまうのも未熟さゆえのことだということはわかってますが。
 
以下、出席者のコメント。

  • 精神障害者の扱いはデリケートな問題だ。一義的な意味ではとうてい補えない他の問題との関与がうかがえる。

  • 罰が与えられない=罪が罪でなくなるように遺族は感じてやりきれなくなるのではないかと思いました。『日本の殺人』と合わせて、いろいろと考えさせられました。罰を与えても意味がない、という点では、日本の殺人にあった事例の「あいつは死んで当然だ。自分は悪いことはしていない」と開き直っている人と一緒じゃないのかなーとおもってよくわからなくなりました。

  • 刑罰が更生のためのものであるとして、それを精神障害者に与えたところで意味はないのではないか。行為を改めさせようにも、「病気」であり本人の意志によって行われたものでないならば、改めることなど不可能であると思う。ただし、罰しないのであっても、健常者における刑罰に相当する何かを課するべきであると思う。本人の意思でなく行われたにしろ、犯罪が再び行われなくなるための措置がなくてはならないと思う。

  • ○○さんの例え話が、その状況をとても想像しやすくて面白かったです。あと、精神障害者の行為に対する罰について考えるときには、刑罰の意義を考えてからにしないといけないと思いました。

  • 最初は、39条の一項の「罰しない」ということには反対だったが、よく考えたらそれはいみがないのではないかと思った。有罪になって刑務所とかに入れられても何のために罪をつぐなっているのか分からない訳だから、それだと罰を与えても意味はないのかなと思う。議論的には、絶えることなく様々な意見が飛び交ってよかったと思います。

  • 議論では、犯罪者の更生や被害者遺族のために刑罰の意味があるといった考えが多かったようですが、罪を犯した人に罰があることで多少は防ぐというか・・・ なので犯罪者が罰の意味を分からないからしなくてよいのかは、罰が更生のためだけでないとも思うので、どうなのかなとも。いろんな意見があって良かったです。

  • 今回議論の中で、障害者を定義する39条に対して、賛成・反対様々な意見があるということを知り、この39条をもう1度見直していくべきだと思った。

  • 報告者の主張する医療刑務所の増設は単純な議論なので賛成しかねる。

  • 本を読まずに臨んだので、最初はついていけなかったが、発表者のレジュメがわかりやすくてよかった。

  • 特定の人達のみで討論していて、すごくつまらなかった。もっとみんなで討論したかった。発言してる人達は周りが見えなくなってるので、そこは司会者がとめなければならないと思う。報告者も特定の人ばかりに話すのはやめるべきだと思う。残り30分で他の人の意見をきいても遅いし、そんな短時間で充分に討論できるとは思わない。報告者がしゃべりすぎ。

  • 精神障害の現状についての知識があまりになくて、考える上で疑問がたくさんあった。心神“喪失”なら罰を与えてもきっと分からないと思うから、与えなくてもいいと思った。“喪失”“耗弱”どちらにしろ、治療をして同じことをくり返さないようにするべきだと思う。あと、報告者の人が結構自分の意見を主張しすぎてて、あんまり皆の意見がきけないのが残念だった。司会の人も、もっとタイミングをつかんでまとめてほしかった。今回は討論として成立していたかギモン。

  • 報告者の感想  聴衆の質問が恐かった。特に三谷さん。司会との打ち合わせが不足しすぎた。不備だらけで申し訳ございません。

  • 司会者の感想  司会はすごく大変です。中立的な立場に立って当然だったのに、少し押しつけがましい発言がありました。やってしまった感が、大変だ。すごくいい経験だった。