新潟医療福祉大学「社会学I」 第12回 「社会問題の見方/社会問題の実際」

今回は矢島正見さん執筆の第2部第5章「社会問題の見方」、第6章「社会問題の実際」。
社会問題の機能主義(実在論)と、構築主義非実在論)を対比して解説。教科書が、おそらくは機能主義寄りなので、構築主義寄りで話した。というか、ある現象が「問題」であるためにはそれが「異常」でなければならないが、そう判断するための「正常」基準を提供してくれるような「社会的システム理論」はいまだまともなものがない以上、機能主義の立場には立てない、というのは第1部第4章での私の執筆箇所の趣旨だったりするわけで。
あと、応用編として、児童ポルノ禁止法の話を少し。規制を訴える人の動機が善意に発するものであり、規制しようとするものの内容というかイメージに反対することが難しい場合こそ、何かを法律で禁止するということが、その裏面で権力側に強い権限を与えることになるという事実に注意が必要だとか云々。
ところで教科書に「連字付社会学」って言葉が複数回出てきて、ページの横のとこに語句解説までついているのだけど、それは間違いで、ほんとうは「連字符社会学」なので注意してくださいね。「連字符」というのはハイフンのことで、家族社会学ならfamily-sociologyみたいにハイフンでつないで分野名にするので、こういう名前がついています。英語でいうとhyphenated sociologyですね。

  • 私も電車で通っていますが、高校生が地べたに座ったり、高校生同士でイチャイチャしたり、電車の中で化粧したりという光景をよく見かけます。「今どきの高校生は」と思うのですが、そういう高校生は一部だということを忘れないでいたいです。 (まあ、「今どき」に限らないでしょうね。前からそういうのはいましたから。ちょっとずれるけれど、駅だろうとどこだろうと制服のまま地べたに座る、という行動は、学校の教師がそう指導してるんだからしょうがないよね、と半ば呆れ気味で思います。

  • 世の中にはなぜこんなことが問題になっているんだろうと思うことがいっぱいあるけど、逆に、なぜ問題にならないのだろうと思うこともたくさんあります。多くの人が問題と感じるから、多くの人が問題と感じていないからだけでなく、力によって問題を左右することが多すぎると思います。 (まずできることは、物事が問題化する(問題として認知され流通する)プロセスを知ることでしょう。そのうえで、そのプロセスへのアクセシビリティが、力の強弱によって差別されているならば、そこを何とかすべきなんでしょうね。

  • 女性は女性らしく、男性は男性らしく、その規範に当てはめるのはよくないと思います。ぐちゃぐちゃな時代だから、何でもアリに思えますが、日本文化は消えないでほしいです。ちょっと性的なことば出しすぎなのでは?? あまり気分よくないです。 (1文目と2文目が矛盾しているように見えるのですが・・・

  • どんどん人が減って少しさみしいです。

  • 時代の流れにつれて規範がかわっていく事がわかった。社会学が機能主義から構築主義になっていくことがわかった。

  • 社会問題はいろいろな問題がありますね。難しい説明もあったけど頭に入りました。

  • とうとう30人ぐらいになってしまいましたね。なんだかさみしい気分です。 (学生のとき、最初の2回くらい出て、そのときは100人くらいいたのが、そのあとサボってて、最後の回だけ出てみたら4人しかいなくてどうしようかと思ったことがあります(笑)。当然ですが、お得感でいうと、出席者にとっては人数の少ない授業の方がお得です。

  • コンコルドの誤り・・・どこかで聞いたことがあるような・・・ないような・・・。だとしたらコンビニの食品の破棄の問題も「コンコルドの誤り」と「Mottainai」との間でもめるんでしょうね。経営って難しいですね。 (コンビニの件は、本社と加盟店の間の力関係の問題もあってなかなか複雑です。

  • お金などがもったいないからといって、もとをとるというような考え方を、先生は批判しましたが、私は元々貧しい生い立ちですし、恥ずかしいと思ってもいないので、一生これで生きていくと思います。本人が良ければ、その人の人生なので何でも良いと思います。 (「元を取るぞ!」というのが「恥ずかしい」からやめろと言ったのではないのです。居酒屋で飲み放題にしちゃったから、もう欲しくもないのに時間いっぱい飲みまくるとか、せっかく買った本だから、ほんとは最初の数ページでつまらないことがわかっているはずなのに全部読んでしまうとか、そういったことによってダブルに「損」をするから不合理だ、と言ったのです。貧しいからこそ、この種の不合理性に気づくことに価値があります。

  • 今日の社会学の授業を受けていた学生の人数が少ないと思いました。

  • 今日はなんだか難しかった。

  • 人数がどんなに少なくなっても私は授業に出続けます。先生の話を聞いていても損だと思わないし楽しいです。

  • 今日久しぶりに講義に出ましたが、人が少なくておどろきました。出欠は本当に関係しているんですか? (出欠は成績に入れない、とシラバスにも書いたし、授業でもずっと言っています。しかし、本当にそうなのかどうか、誰も確かめることができないですよね(笑)。レポートの採点は私の主観的評価だとも言ってますしね! それなのに、言うことを真に受ける人が多くて、ちょっと心配になってしまいます。――えーと、以上は冗談ですが、冗談だということを確かめることは誰にもできません。

  • 三谷先生の授業はいつも筋道が通っていて聞きやすいと思います。僕の親や周りの人々は何がしたいのかわかりません。例えばゼミでの出来事ですが、毎年ゼミメンバーで一度ごはんを食べに行くらしいんですが、今年はどうする? って感じになったんです。みんなはあまり行きたくなさそうでした。でもある人が「毎年行ってるから行ったほうがいいんじゃない?」と言いました。みんなは「・・・・・・うん。。。・・・」という微妙な雰囲気。自分は嫌でした。毎年行ってるから!? 行ったほうがいい!? 意味不明です。お前はそんな訳分かんない伝統のために行くのか? 「行きたい!」じゃなく「行ったほうがいいんじゃない?」のために行くのはちょっとおかしい! と思いました。愚痴を書かせてもらいました。すみません。 (社会学的に言うと(笑)、ほんとは行きたい人でも、そういう場で率先して「行きたい!」と発言することは、かなりリスキーです。他の人が「行きたくない(お前一人で行けば?)」ということになれば、その人の被る精神的被害は甚大ですし、他の人が「じゃあ行くか」となったときでも、じゃあお前のために行ってやるよしょうがねえな、みたいな感じになるわけですから(「お前が行きたいって言ったんだから店の手配とか幹事とかよろしく〜」といった反応が高い確率で予想されます)。表層のやる気のなさの背後に、こんな計算が働いているんですね(笑)。

  • 今まで社会学にあまり興味がわかなかったが、社会問題の構築主義の話はおもしろそうだと思った。

  • 図式での説明が多くてわかりやすかったです。

  • 社会問題というのは時代・時代で変わっていき、今現在私たちが生きている中で、問題とお耐えずに認められていることがあっても、将来的にその事が社会問題となっている可能性があるのかと思った。

  • 確かに昔は14、15歳の子が、結婚するのはごく当たり前のことだったけど、今の時代では考えられないことだなと改めて思いました。

  • 時間の使い方は人それぞれ違うものであり、人にとって価値があると思うことも一人一人違うものであると思う。今回社会学の授業に出席したが、自分にとって価値のある時間になるように、少しでも理解できたらいいと思う。

  • レポートは、このくらいの時期に始めたらいいんですか。教えてください。

  • 正直、欲望を持つのは人の自由。欲望のいいところは誰も傷つけないところ。まぁ、いきすぎて犯罪をおかす人もいますが。

  • 社会の問題は多くありますが、多くあるがゆえに1つも解決は出来ないと私は思います。与えられている問題の内容が大きすぎて、結局は人間の考えの限界があると思います。また、日常の出来事1つ1つが問題で、私達は毎日その問題たちと葛藤し、共存しているからこそ、自分らしく生きていられるんじゃないかと思いました。今回はとても考えられた授業でした。 (問題を解決するための第一歩は、解決可能な規模に分解したり、解決を見つけやすい形に定式化しなおすことです。あなた自身が毎日どうやって、問題を解決可能な問題にし、それに対してどんな解決をどんな理由で採用していっているのか、そうしたことを反省的に捉えかえすと、すごく社会学な感じですね。

  • 人は少ないが休まず出る!!

  • レポートの具体例などを見せてほしいです。

  • 本当に人がいなくて、さみしいです。今日はマイクのノイズがひどくてあまりきこえなかったです。 (ノイズについては気づきませんでした。すいません。

  • 口に出すと、気持ちが大きくなってしまうのです。違う土地で育った2人が、わかりあうことは不可能なのでしょうか。 (えーと、何の話かよくわからんのですが、育った土地に限らず、人間同士が〈本当に〉わかりあうことはなかなか難しいです。そして、相手をわかってしまうことは非常に簡単です。あと、私としては、わかりあうことにそんなに価値があるとは思いません。

  • だんだん人がすくなくて、なんとかしたほうがいいのでは? と思いますが、先生がそれでいいのならいいと思います。私は、やらなきゃいけないことはちゃんとしなきゃいけないと思うので、出席しています。

  • 今日の授業は個人的に難しかったです。構築主義ではある行為が禁止されると新しい権力が生まれて、別の問題を生じさせる? ことが分かりました。 (それは構築主義の話じゃなくて、法律で何かを禁止するとはどういうことか、という文脈の話ですね。

  • 児童ポルノの例で、善意で行動してもそれが他の人にとってはよいことではないときがあることがわかった。

  • 今日の先生はいつもより増して、すらすらと熱弁していた気がする。こんなに人がいない中、やる気をなくさずすばらしいと思いました。

  • 「もったいない」が不合理な考え方であるというのがおもしろいと思いました。CMなどの影響で良い言葉だという考えしかもっていなかったからです。なぜ先生はこのように様々な視点から物事を見ることができるのですか。ただ私の考えが浅いだけか、勉強量の差でしょうか。先生は何だと思いますか。 (基本的には(知的な)経験の差です。私はあなたより14年も、学問的キャリアが長いのです。誰かの意見や、世間での流行に対して違和感を持ったときに、自分の考えの何がその相手や世間とずれているのかを反省的に捉えかえし、そのうえで、どっちが正しいのかを考える、という経験を積み重ねていくといいと思います。

  • コンコルドの誤り、sunk costの考え方についてとても興味深かったです。払った金額のもとをとることは不合理だと聞いてなるほどなと思いました。でも、不合理だとわかっていても、もとをとりたいという思いもあるような気がしました。(ちなみに、社会学は難しいけど、おもしろい話もあるので、もとをとろうという考えはありませんよ。) (もちろんあります。人間、合理的にだけ生きているわけではありませんから。

  • 自分は、現在、多々ある社会問題を、何でも政策によって規制すればいいわけではないと思う。今回、先生が話していた児童ポルノについてはさすがにまずいと思うが、それをただ持っているだけや口に出してしゃべったりするだけで手が後ろにまわるのはやりすぎなんじゃないかと思う。 (児童ポルノ――それが何を指すのかについてもいろいろと問題がありますが――がまずいからなくなるべきだという話と、それを法律で禁止する――何を禁止するのかについてもいろいろ問題がありますが――ことによって国家権力が私生活に介入する口実を一つ増やすこととを、きちんと区別することが大切です。

  • 「社会問題」は時代や国で変わってきて、複雑で難しいと思った。

  • 今日の講義の内容は難しかった。教科書やメモなどを見て、また復習したい。機能主義という立場と構築主義という立場とを比べて、自分なりにもどちらが「確かそう」と信じられるか考えてみたい。

  • つかれた

  • 今日の授業はホワイトボードを使っていて分かりやすかったです。

  • 社会問題について考えるって難しいなって思いました。どういう社会がいいって基準はよく分からないけれど、やっぱり自分の中で“いい”ってイメージをつくることができるから、“順機能”・“逆機能”というものができたような気がしました。そしてそのイメージというものが、学識として広がっていて、当たり前になってるからこそ、当たり前の様に、“良い社会”“悪い社会”ってことばがあるんだと思います。法によって良いことも悪いこともあることを改めて感じました。法は人を助けるけれどときに苦しめるものになるんだなって思いました。レポートの質問なんですが、参考資料は使ってもいいのですか? それとも体験などを書くので、使わない方がいいですか? (資料は、使った方が良いレポートになると思えば使ってください。判断はおまかせします。

  • 日本はたくさん社会問題があると思う。