高原基彰さんから、ゼミ生(1年生)へのメッセージをいただきました!
不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由 (新書y)
- 作者: 高原基彰
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2006/04/01
- メディア: 新書
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さて、はっきりいって、要求水準はきわめて高い。対象文献が新書であることと、「この文献を読んでないのはいかがなものか」的な嫌味はなし、という点を除けば、大学院生の研究会レベルだと思います(あくまで、要求水準が、ですが)。
まあ、自慢的自己紹介(笑)はこのくらいにして、そのゼミの第一回で、高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』をやるわけです。さて、高原さんといえば、ああ、俺のマイミクだ!(爆)というわけで、彼の国で
この本は、雇用などの面で不安を抱えるようになった若者が「ナショナリズム」に走ってネット右翼などになっている、としばしば誤読されました。でも私が言いたかったことはまったく違くて、現在の日本で「ナショナリズム」と呼ばれているもの(典型的には歴史問題について)は、語義的に「ナショナリズム」と呼べるものではない、ということです。
歴史問題について互いの言い分をぶつけ合っているだけなのは、「ナショナリズム」とは何も関係がない。そして戦後日本の、少なくとも七〇年代以後にあった、実質的なナショナリズムとは、自国の経済的繁栄を祝福するものだった。しかしそれは、現在の若者世代を切り捨て、年長世代だけの「安定」を祝福するものだった。自国民を世代で区別して、若い世代だけ使い捨てにしても良いなどという「ナショナリズム」があってたまるか、というのが私の主張でした。そして韓国や中国でも、実は似た事情があって、若者は同じようなことで悩んでいるんだ、と。
現在の若者の不安を「ナショナリズム」としてしか解釈できない、マスコミや学者の言っていることの方がよほどおかしい。だから、「ナショナリズム」の盛り上がりをどう抑制するか考えるのではなくて、その「不安」そのものに対処する手当てを考えねばならない、そうしなければ日韓中の関係改善など到底おぼつかない、と主張した本です。
その不安の手当てとして、流動的社会の中で生きる心構えのようなものを個人個人が持つことと、それを前提とした社会設計がなされることが必要であると書きました。
就職で心配が一杯のみなさんには想像できないかもしれませんが、八〇年代頃までの日本では、一生同じ会社に勤めるサラリーマン生活は「社蓄」であり、個人が組織に従属させられる非人間的なシステムであると述べた議論がたくさんありました。
専業主婦についても同様で、旦那の稼ぎを当てにして一日中家にいて、給料もなしに家事をやっている専業主婦は「被害者」であるという議論がとてもたくさんありました。
バブル崩壊後の長期不況、そして(数年間だけの好況期を挟んだ)現在の不況下では、終身雇用も専業主婦・核家族も、あたかも失われてしまった古き良き夢であるかのように論じられています。
当時の批判的な議論は、たしかに日本の経済システムが良好であることを前提にした気楽で身勝手な不満だったという言い方もできます。でも逆に言えば、安定雇用や安定した結婚生活というのが、そんなに良いものではなかったという証言でもあります。そして最も重要なことは、こうしたバブル崩壊までの日本というのは、当時の国際環境や世界経済の動向を反映した、世界史的な偶然だったのであり、もう二度とそこには戻れないということです。
短期間で世界第二位の経済大国になった、幸福な時代が急に終った日本では、年長世代・年少世代、男性・女性、日本人・外国人、正社員・非正社員、こうした多様な立場の人々が、「誰々は既得権益を持っていて良くない」、あるいは「誰々は国や社会のお荷物になっていて良くない」と、他人を非難する言動ばかりが目立ちます。
しかしこれからは、こうした下らない文句の言い合いをやめて、ノスタルジーにすがるのでも、「自分さえ良ければ良い」という草の根の身勝手の主張でもなく、経済成長と社会的平等のバランスを、対話的民主主義によって、国民自身が決定していくことが必要になるでしょう。雇用・年金といった分野で、次世代の皆さんが自己主張しなければならない機会も多くなるでしょう。この本がそうしたことを考える一助になればと願います。
まさかの長文メッセージにびっくり。お願いしたとき僕が想定していたのは、2、3行程度の「がんばれよお前ら」的短文で、それでも読んでいる本の著者から直接メッセージをもらえれば、学生たちの意識の高まりは半端じゃないだろう、という思惑でした。それがこの長さ!
そして、さらにその内容。完全に本気モードです。僕の演習の設定自体も、自分なりには本気モードであり、それは要するに、1年生といえども子供(未熟者)扱いしないということなのですが、高原さんのメッセージはそれに輪をかけての本気モード。本を読んだときも思ったのですが、これがあの、しゃべったらあんな感じ(笑)の高原くんの書いたものなのか、という疑念を払いきれません(笑)。学生たちには、「文章を書く」ということに対する手抜きのできなさ、誠実さを、ぜひとも感じ取ってもらいたいと思います。
こういう書き方をしていると、「なんか三谷君に言われるとすごいバカにされてる気がするんですけど(笑) 」(高原くんのメールから引用)とか思われるらしいのでこのくらいで(僕のイメージはどんなのなのか)。しかし、正味の話、僕にとってもすごく刺戟になりました。高原くん、本当にありがとう!