朝日社説onタモさん問題

東京裁判60年―歴史から目をそらすまい魚拓

論点を整理しよう。東京裁判に問題があるのは事実である。戦争が行われた時点では存在しなかった「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くことは、法律学でいう事後法にあたりおかしいという批判がある。日本の戦争犯罪は裁かれたが、米軍の原爆投下は審理されなかった。連合国側だけで判事団を構成した。被告の選び方も恣意(しい)的だった。
その一方で、この裁判の意義も忘れてはならない。裁判を通して戦争に至る道が検証され、指導者の責任を問うた。そのことで、戦後日本社会は過去を清算し、次に進むことができた。
また、独立回復に際してこの裁判を受け入れたことで、国際社会への復帰を果たした。東京裁判ナチスドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と並んで、戦争を裁くためのその後の国際法の発展に寄与した。
こうした両面をそのまま受け入れる必要がある。欠陥に目を向けつつ、この裁判が果たした役割を積極的に生かすのが賢明な態度ではなかろうか。

東京裁判は悪い面もあるが、良い面もある。どっかで聞いたような論立てだけど、朝日がそれ言っていいの?
それはともかく、この議論はおかしい。社説で述べられている「裁判の意義」は、おそらく事後法等の「問題」がなくても達成されただろう。つまりこの「意義」を結果としてもたらすという点で、事後法で裁く/罪刑法定主義で裁くは等価である。
本当の比較は、この等価性の認識から始まる。つまり、この互いに等価な選択肢を、別の評価観点を立てて評価し直すのだ。「公正」という観点を立てると、事後法の東京裁判(現実の東京裁判)は不公正で、事後法でない東京裁判(ありえた東京裁判)は公正であり、当たり前だが事後法でない方がよいに決まっている。
そうではないという議論を組み立てるためには、不公正な裁判でなければ得られなかった良い結果(「裁判の意義」)を指摘しなければならない。そういうのがもしかしたらあるかもしれないが、社説はまったく述べていない。
――という話を、等価機能分析の例として授業でやってみたら、レスポンスカードでの評判がすこぶるよかった。またやれという声が多いが、いいネタがあればね・・・