『社会学的啓蒙 第1巻』序文

こんなん上げてみる。序文は現在(第七版)でも、初版と第三版のみ。

初版序文

実践的応用についても理論的統合についても、社会学の将来は最高度に不確実で、この先どうなるかまったく分からない。これまでの蓄積にしても、その応用にしても、確実な知見というものがまったくない。これは経験的研究にも言えることではあるが、やはりなんといっても純粋理論的な考察について当てはまる。こういう状況では、包括的理論を断念してしまうのも無理はないのだが、とりあえず試論的なものを書いてみるという手もないことはない。それをやってみるとして、そのための発信形式としては雑誌論文が適当であると、ここ数年考えてきた。しかしいろいろなところに書き散らしていると、入手するのも困難だし、全体としてどうなっているのかもよく分からないし、相互の帳尻合わせも難しいし、批判もやりにくい、ということになってきた。この論文集で、そうした問題が解決されればいいなと思っている。
そういう目的があるので、既公刊論文の加筆修正は行っていない。だから重複もそのままだし、定式化も、いまなら統一できるのだが、あえてばらばらなままにしてある。しかし収録論文についてはそれなりに考えて選んだ。その結果、新たに二本の論文を書き下ろすことにした。収録することにしたのは、一般理論社会学に関する論文と、社会とその主要な部分システムの理論に関する論文である。書き下ろしの必要があると考えたのは後者の方で、まずは社会理論に関する論文が一本必要だと考えた。この主題についても既公刊の論文はあったのだが、あまりにも当時の出版事情に縛られすぎていたため、新しく書き直すことにしたのである。もう一本の書き下ろしは、他の諸論文で概略を描いた構想を、経済という社会的システムの一事例に応用してみたら面白いのではないかと考えたものである。これに対して、法社会学行政学、また政治理論の古典的主題の新解釈といった、もっと特殊な主題については取り上げなかった。
これらの論文を一書にまとめることで、そこで用いられている分析道具の弱点が、多数明らかになるだろうと思う。それは一つには経験的な検証が難しいという点にあるだろうし、あるいは主導的な基礎概念や、それを表すための専門用語(システム、境界、問題、等価、意味、複雑性、偶然性、選択性などの概念、および、可能性を(明示的、暗示的に)表すために用いられるすべての定式化)が「過重」だという点にもあるだろう。だから、経験的な検証や概念の一貫性について絶対的な要求水準をもってかかる人なら、本書の試みは失敗だ、と即断することもあるだろう。しかしそうでない読者は、本書が示した解釈が、今後、経験的な検証や基礎概念上の明確化を引き継ぐ仕事が現れるのに十分な程度に成功しているかどうか、そういう点を考えてほしい。
ビーレフェルト、1969年12月
ニクラス・ルーマン

第三版序文

この論文集、初版、第二版と、予想以上の早さで売り切れてしまった。ということは本書を読みたいという人、本書の議論を新鮮だと感じる人がまだまだいるということで、それならやはり、研究の対象領域が広がり、十分な体系性を備えるまで出版を控えるというのは申し訳なく、というわけで研究自体は現在進行形でいろいろ多方面にやっているのだが、その成果の一部を論文の形で随時発表していくというやり方がいいのかなと思う。さて今回の改版では、新しい論文を追加して増補版にするという話も出たのだが、そうすると旧版を買った人が損をするのでそれはやめた。これについては版元の御理解に感謝する。ただ論文は結構書いているので、それらについては本書の第二巻を出すという形で発表したい。論文が十分な数集まったら出す予定。というわけで、この第三版でも内容は初版、第二版と同じである。ただ、第二巻を出すことになったので、書名に「第一巻」を付けた。
ビーレフェルト、1972年3月
ニクラス・ルーマン

Soziologische Aufklaerung 1: Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme

Soziologische Aufklaerung 1: Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme