今日の天声人語
「演説」という言葉は、福沢諭吉による訳語だという。「演説とは英語にて『スピイチ』と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」(『学問のすゝめ』岩波文庫)。
「演説」は出身藩だった旧中津藩で使われていた「演舌書」なる書面に由来するという。「舌」という語句が俗なために「説」に換えた。福沢本人がそう述べたと慶応義塾のホームページにはある。
(後略)
http://www.asahi.com/paper/column20070127.html
ホームページって・・・手抜き杉では?筆者が参照したと思われる慶應のサイトにはこうある。
「演説」は、福澤の出身藩である旧中津藩で藩士が藩庁に対して意思を表明するための「演舌書」なる書面に由来する。「舌」という語句が俗なために「説」に換えたと福澤本人が述べている。
ほとんど同じ文章だwww
さてあと1分だけ手間をかけてぐーぐる先生に聞いてみれば、こんな盗作との非難を逃れようとしているのがばればれの文章ではなくて、もっと賢そうな引用ができたのに。
明治六年(一八七三年)、福沢諭吉四十才春夏の頃、社中の一人小泉信吉氏がスピーチの大概を述べた英版原書の小冊子を手に入れて諭吉に示し、この新法を国内に広めてはどうかと進言した。そこで数日中に抄訳しできたものが『會議辯(会議弁)』である。このとき諭吉はスピーチ、ディベートにあたる日本語がないので、この語を訳した経緯を福沢全集緒言の中で次のように述べている。
「...兎に角に演舌の文字は中津にて慥に記憶するが故に、夫れより社友と謀り、舌の字は餘り俗なり、同音の説の字に改めんとて、演説の二字を得てスピーチュの原語を譯したり。...其他デベートは討論と譯し、可決否決等の文字は甚だ容易なりしが、原書中にセカンドの字を見て、之を賛成と譯することを知らずして頗る窮したるは今に記憶する所なり。」
http://www13.big.or.jp/~yokayama/debate/thesis/debate_history.html
福澤全集緒言ですよ。そのくらい会社の図書室とかにあるでしょうに。