コミュニケイション概念が冗長である件

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070123/p5
 前回確認したのは、コミュニケイションを情報・発信・理解の綜合と定義して、理解とは情報と発信の区別の理解と定義した場合、コミュニケイション、ひいては社会というものを個人の意識内現象に還元してしまわない理論を作るためには、コミュニケイションの成分としての情報・発信と、理解の成分としての(つまり理解された)情報・発信は、当然には同じでないものとして扱わなければならないということだった。
 ルーマンはコミュニケイションを言語的なものに限定しないために情報発信という言い方をするが、そのことを念頭に置きつつ、ここでは情報発信を発言で代表させよう。コミュニケイションは発言とその理解から成る、ということになる。
 前段の確認は、発言とその理解は別のことだという内容である。発言があって、理解がある。決して、理解が突然発生して、その成分として発言が同時構成されるということではない。その議論も不可能ではないが、その方向では社会は意識内現象だという結論に至らざるを得ない。
 さて、発言があって、理解がある。この二つが合わさると一つのコミュニケイションになるというのがルーマンの議論である。ここで考えたいのは、なぜそのような形でコミュニケイション概念を導入する必要があるのか、という点である。
 発言があって、理解がある。理解した人がその理解に基づいて発言をし、それを相手が理解する、といった繰り返しが、コミュニケイションの連鎖といわれる。しかしなぜ、発言と理解という二つのものが再帰的に連続するといってはいけないのか。それが、コミュニケイションという一つのものの反復である、ということによって何か新しいことが言われているのか。私には、発言があって、理解がある、ということで事態の記述としては十分だとしか思えない。
 そしてこの疑念は、発言だけではコミュニケイションではなくて、理解も含めないといけない、という主張の根拠についての疑念にもつながる。発言というある種の行為がコミュニケイションであるという定義が、理解も含めたルーマン流の定義に比べて明白に劣っていると言えるような証拠は、コミュニケイションと呼ばれている事態の現場には存在していないように思う。
 一つありそうな反論は、確かにその時点においては発言と理解という二つのものがあるだけだが、あとから振り返って参照する際には、発言と理解を合わせた一つのコミュニケイションが参照されるのだ、というものである。
 しかしこれはあまりにも直観に反する議論である。あとから振り返って参照されるのは、そのときの発言であり、その内容(=情報)、その趣旨(=発信)、そしてその理解、といったことでしかない。それらを合わせたコミュニケイションなどという単位が参照されることはない。もちろん、発言や理解よりも包括的な単位が参照されることはある。しかしその単位は「あのとき」とか「あの会議では」といった舞台設定まで広がってしまうのであって、この舞台設定と、個々の発言・理解との間に存するといわれるコミュニケイションなる単位が参照されることはない。少なくとも私には想像できない。
 ルーマン自身が、そのような形でのコミュニケイション単位の事後的成立の事例を挙げ得ていないし、事後成立論を支持する論者も、せいぜい発言の内容や趣旨が事後確定・事後修正の可能性に開かれているといったことしか言えていない。ルーマンに至っては、「コミュニケイションは観察(=参照)されると行為(=発言)へと縮減されてしまうのだ」などと述べてお座成りで逃げようとするが、「発言とその理解がセットで参照されることなんてないのでは?」という異論に対して通用する議論ではない。ルーマンの言い方は、コミュニケイションという単位の存在を前提にしたうえで、しかしその単位が事後的に参照されることがないのはなぜか、という問いに答えているだけであって、そもそもその単位の存在自体を疑問視している人に対して何か説得的なことを言えているわけではない。
 このように、ルーマンのコミュニケイション概念が指示しているその瞬間、その現場に注目しても、事後的な参照のされ方について考えてみても、コミュニケイションという概念を導入することは、事態の記述にとっては不要、冗長であると言わざるを得ない。
 つまりコミュニケイション概念の導入は、対象領域からの要請ではない。ではどこからの要請かというと、これは理論形式からの要請である。つまり、コミュニケイションという現象への着目がそれを要素とする自己再生産システムの発想を導いたのではなく、後者が前者を導くのである。これは学説発展史的にもそうだし、論理的にもそうである。が、この点はまた今度。