NM効用最大化は公理じゃないよ定理だよ

Wikipediaの「限界効用」にて曰く

フォン・ノイマンとオスカル・モルゲンシュテルンが期待効用仮説をとなえ、経済学にふたたび基数的議論を復活させた。世界の事象がある確率分布にもとづいて決定される不確実なものであるとき、人々は効用の期待値を最大化するように行動することが公理として提案された
Wikipedia「限界効用」の「5 効用の可測性」

 全然違います。
 NMが公理として立てたのは、人々の選好=行動が一定の条件を満たすことです。彼らはそこから出発して、その場合、その行動を、期待効用最大化として記述できるような効用関数が存在することを定理として証明したわけです。公理として立てるのと定理として証明するのとは意味が全然違いますよ。
 さらにいえば、「効用関数が存在する」というのは外部観察者が記述に使えるような道具立てが存在するということを意味しているだけです。だから効用関数を用いる経済学者は、対象たる人間が「あたかも期待効用を最大化しているかのように」行動する、という言い方をします。対象たる人間が、自分にとっての効用なるものを自覚して、それを最大化することを目指して行動するということまでは含意しません。行為者の内面はあくまでもブラックボックスです。
 つまり、「基数的議論を復活させた」というのは、外面的行動に関する無差別曲線だけあればいいから内面は無視しましょうというヒックスらの議論に対して、やっぱり内面も必要だというふうになった、という意味では全然なくて、期待値計算のできる数字を発見しましたよ、というだけのこと。それとの関係でいえば、「世界の事象がある確率分布にもとづいて決定される不確実なものであるとき」という条件も(不明確でなければ)間違っていて、正しくは確率分布=籤を選択肢とするとき、と言わないといけない。