迷宮か迷路か

 ルーマンSoziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorieの序文の最後のところで自分の理論構想が高速道路よりはラビリンスに似ていると書いているが、どういう意味か。長岡本を見ると「迷路」と訳しているが、一般的にはラビリンスは「迷宮」であって「迷路」(メイズ)ではない。迷宮と迷路の最大の違いは前者が一本道なのに対して後者は分かれ道があること。要するに迷宮というのは曲がりくねった一本道をひたすら歩いて中心に向かうもので、かつ与えられた面積をすべて踏破しなければならない。つまり、たとえば円が与えられているならば、入口から中心までは最短距離で半径分だけしか離れていないが、迷宮になっている場合には円の面積分歩いて初めて中心にたどりつける。どうも、高速道路と対比しているのを見ると、やはりこのような意味での迷宮のことを言いたいのではないかと思う。
 さて、かりに迷路だとしたらどうなるかというと、分かれ道があって、間違った方向に行くと行き止まりだったり、同じところをぐるぐる回ったりしてしまう(迷宮は一本道だからこういうことがない)。そもそも、道が中心に向かっているかどうかもわからない。それで、ルーマンの文章を読むと、「これについては本書ではこれ以上論じることができない」と行き止まりになったり、議論の基礎付け関係がぐるぐる循環しているように見えるところとか、議論が終わってもどこに行き着いたのかわからないといったことが結構あって、これは迷路である。
 つまり、ルーマンは迷宮だと思ってるかもしれないけどどう見ても迷路です。本当にありが(ry、という雑談(上の箇所を最初から「迷路」と訳してしまうとこの突っ込みができない)。

参考

google:image:labyrinth

――迷宮とは、一つ、通路が交差しない。二つ、通路に分岐が無い。三つ、通路は常に振り子状に方向転換をする。四つ、通路は迷宮の内部空間を余すところ無く通っていて、迷宮を歩く者は、内部空間を総て歩くことになる。五つ、迷宮を歩く者は、中心の傍を繰り返し通る。六つ、通路は一本道であり、強制的に中心に通じているから、道に迷う可能性は無い。七つ、中心から外部へ出る際には、中心への通路を再び戻っていく他に道は無い――
秋月涼介,2002,『迷宮学事件』講談社ノベルス,p. 16*1

↓こんなのもありました(未見)。こっちを引用してれば賢そうに見えたかも。

迷宮学入門 (講談社現代新書)

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*1:この本が探偵小説として面白いかどうかは訊かないで下さいw。