日本社会学会大会エントリ

申込書の100文字(以上)説明書きました。

従来の説明指向機能分析の方法論が、対象世界の記述としての機能理論の妥当性を前提とし、それゆえ機能理論の破綻に伴って衰退したのに対して、ルーマンは比較指向の等価機能主義の方法論を提唱することで、方法論の妥当性を理論の妥当性から独立させ、むしろ後者を前者に依存させる学説を打ち立てた。その結果、理論の妥当性には、純粋に経験科学的な条件にとどまらず、等価機能主義の方法論、およびそれを採用すべき理由の水準に由来する条件をも満たす必要が課せられている。それゆえ、彼のシステム理論を評価するには、この等価機能主義採用の理由の水準での解明が先決である。これは、経験的研究と規範的研究の断絶状況克服という、1960年代の彼の明示的目標から解明されるはずである。

15分ではこのくらいでしょうか。
 要旨(1400字)も書きました。

 ニクラス・ルーマンの学説は、彼のシステム理論と同一視されることが多く、特に近年ではその傾向が強い。ところが実は彼の学説は、少なくとも等価機能主義という方法論水準と、システム理論という理論水準の二段構成になっている。そして、1950年代末から60年代の彼の議論を追うならば、等価機能主義がまずあって、それに適した理論としてシステム理論が採用されてきたことは明らかである。この方法論主導的な理論構築は、等価機能主義提唱の一つの、きわめて重大な帰結である。
 ルーマン以前の機能主義は、その目標を事象の説明に求めた。しかしある事象の機能を指摘することがすなわちその事象の説明になる、という論理関係はそれ自体としては成り立たない。成り立つには理論による補完が必要である。そしてその説明が妥当であるためには、その理論が対象世界の記述として妥当でなければならない。このように方法(説明)の妥当性が理論の妥当性に依存する構造になっていた。その種の理論としては、目的論(およびその限定版としての合理的選択理論)と、存立要件理論が存在し、どちらの理論を採るかによって機能的説明は、逆因果的説明と論理的説明のいずれかの形式をとった。ところがいずれの理論についても、対象世界の記述として瑕疵のあることが判明し、逆因果的説明は詳細な因果的説明へと還元され、論理的説明はその不成立が証明された。ルーマンが登場した50年代末は、このように機能主義存亡の危機の時代であった。
 この状況下でルーマンは、機能主義的方法論の目標として説明を放棄し、新たな目標として機能的等価物間の比較を立てた。比較は説明と異なり、対象世界についての結論的判断を要しないため、理論の妥当性を前提とすることなく実行可能である。このように機能主義方法論の意味の妥当性を自立的に保障した上で、その実行を主導するための枠組装置としてシステム理論が採用される。比較が有意味であるためには、参照問題が複数必要である。すなわち一つの問題を参照することでその問題に関するかぎりでの機能的等価物を集め、それらを別の問題観点から比較するのである。ルーマンがシステム/環境理論を採用したときの最も主要な理由は、それがこの複数問題の同時解決という事態を扱う理論であるというものだったのである。さらに後期のオートポイエシス理論に至っても、やはり理論は問題集合を呈示するものという位置づけを与えられている。
 このようにルーマン学説を、方法論主導的な観点から統一的に捉えてみると、通常、理論の妥当性を判定するために用いられる対象世界に対する説明力や予測力といった基準にとどまらず、比較という目標を目指すべき理由を参照した評価が不可欠であることが明らかになる。本報告の結論はその必要性を指摘するところまでで、その内実は今後の課題であるが、方向性を示唆しておくと、ルーマンは等価機能主義の利点として、理論家による分析結果の実践家による利用可能性を非常に重視しており、また他方で、社会学における経験的研究と規範的研究の断絶状況を問題視していたという事実がある。この観点からのテクスト読解と批判的評価はルーマン研究だけでなく社会学理論・方法論のさらなる豊饒化を導くだろう。

多少大仰でいい加減だがしょうがない(笑)。
 報告原稿(4000字)は、あと1000字くらい。ただちょっと飽きてきた・・・
 報告原稿(4000字)もできました。眠い・・・
 投函しました。消印も確認したので一安心。