憲法:一元的外在制約説 司法書士試験過去問解説(平成16年度・憲法・第3問)
平成16年度司法書士試験(憲法)より。設問の全体は、憲法:公共の福祉による基本的人権の制約
- 第1説 すべての基本的人権は,「公共の福祉」によって制約されるものであり,憲法第12条及び第13条の「公共の福祉」は,基本的人権を制約する際の憲法上の根拠となる。
- 第2説 基本的人権が「公共の福祉」によって制約され得るのは,憲法第22条及び第29条のように,特に個別の人権規定において「公共の福祉」による制約が認められている場合に限られる。
選択肢のアとエはよく似ている、というか同じ方向性のものなので、一緒にとりあげました。どちらも、基本的人権よりも大切なもの、上位に位置する価値がある、という考え方に基づいています。もし、そういう価値があるなら、その価値に抵触しないように基本的人権を制約することは当然のことです。
人権よりも法律のほうが大切、だから人権は法律で制限することができる、というのが「法律の留保」ですが、この考え方は、人権を保障した憲法によって法律を、立法を制約するという現代の憲法の根本発想と両立しません。これは問題です。
第1説と第2説を、公共の福祉による外在的制約の全部説・一部説として区別するなら(この区別については、憲法:公共の福祉による基本的人権の制約)、すべての基本的人権を外在的制約としての公共の福祉が縛るという第1説=全部説こそが、この問題を生じやすいのは明らかでしょう。
なので、選択肢アとエについて、「この説」というのは第1説のことです。
この説[一元的外在制約説]は、美濃部達吉によって代表される当初の通説であったが、一般に、「公共の福祉」の意味を「公益」とか「公共の安寧秩序」と言うような、抽象的な最高概念として捉えているので、法律による人権制限が容易に肯定されるおそれが少なくなく、ひいては、明治憲法における「法律の留保」のついた人権保障と同じことになってしまわないか、という問題があった。
内在的制約説が、公共の福祉説に反対する論拠の基本にあるのは、公共の福祉による制限を人権一般に対して認めると、明治憲法の場合と同じように、「法律の留保」を認めたことになるというところにある。
しかし、この説[一元的外在制約説]では日本国憲法下の人権尊重原理と整合的でない
[一元的外在制約説では]公共の福祉の判断権が第一次的には政治部門に委ねられる以上,憲法上の権利を制約する法律が裁判所によって違憲と判断されることはありそうもないことである。これでは,臣民の権利を一般的に法律の留保の下においていた大日本帝国憲法と変わりはないこととなり,このような考え方が,日本国憲法の基本的人権尊重の理念と整合しうるか否かはきわめて疑わしい。
長谷部恭男 『憲法 第4版』 107頁
第1説(全部説)と第2説(一部説)は、結局、憲法13条に法的意味を認めるかどうかで分けられるわけですが、この選択肢は「法的意味を認める」と明記してあるので、明らかに第1説です。
憲法13条は
- 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
と書いてあって、「公共の福祉に反しない限り」という部分が、「公共の福祉が基本的人権を制約する」ことを含意するわけですが、他方で、反しない限りは、権利に対して、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とも書いてあります。
公共の福祉による制約を嫌うばかりにこの13条に法的意味を認めず、訓示的なものとしか捉えないことにしてしまうと、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という部分まで法的意味がないことになってしまって、いわばたらいの水と一緒に赤子を流す羽目に陥ってしまうのではないか、というのが、選択肢ウの言っていることです。
現在の学説が、憲法13条を訓示規定と解することなく、法的意味を認める理由は次の2点にある。(略)第二に、憲法13条は、たんに人権制約の根拠規定であるばかりでなく、「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」との定めにより、必要最小限度の規制の原則を宣明していることである。