憲法:教育の自由  司法書士試験過去問解説(平成18年度・憲法・第3問)




平成18年度司法書士試験(憲法)より。正誤問題の選択肢。設問全体については、憲法:自由権と社会権

  •  「全国一斉学力テストの実施は,教師の教育の自由を侵害するものではない。」という場合,「教育の自由」は,(b)[社会権]の性格を有するものとして用いられている。


教育に関する権利としてはまず、憲法26条1項で「教育を受ける権利」が保障されています。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

「教育を受ける」のは子どもですから、この「子どもの学習権」に対応して、大人(保護者)には「教育を受けさせる義務」があり、それが26条2項で定められています。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

また本人と保護者がその気でも、学校とかの教育機関がちゃんとできていないと教育は受けられないので、「教育を受ける権利」は国に対して、そのへんの施設とか制度とかちゃんとやってくれよ、という「国がすること」(作為)を求める権利でもあります。つまり、その意味では、この権利は社会権です。



憲法 第四版
また、教育を受ける権利の社会権としての側面として、国は、教育制度を維持し、教育条件を整備すべき義務を負う。この要請を受けて、教育基本法および学校教育法等が定められ、小・中学校の義務教育を中心とする教育制度が設けられている。



憲法〈1〉
教育を受ける権利は、単なる自由権の域を超えて、国家に対して合理的な教育制度の整備とそこでの適切な教育を要求する権利、すなわち社会権としての性格を併せ有するものである。この権利が、そのように自由権的側面と社会権的側面を併有した複合的性格の人権であることは、今日多くの学説が指摘するところである。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 492頁

憲法
教育を受ける権利には、自由権(国に対する不作為請求権)としての側面と社会権(国に対する給付請求権)としての側面の二つがあるが、後者の側面において、国は、教育制度を維持し、教育条件を整備すべき義務を負っている。この要請を実現するために教育基本法および学校教育法等が定められ、小・中学校の義務教育を中心とする教育制度が設けられているのである。




他方、教師に「教育の自由」があるかどうかが争われるときには、「自由」と言っていることからもわかるように、国家に教育内容に介入されない(不作為)権利があるかどうか、つまり自由権が問題になっています。
言い換えると、教育内容を決める権能は、国家にあるのか、それとも個々の教師にあるのか、という対立で、「国家の教育権」説/「国民の教育権」説の対立と呼ばれます。
選択肢の中で触れられている「全国一斉学力テストの実施」というのは、「旭川学テ事件」を想起させるものです。最高裁判決は、「国家の教育権」説/「国民の教育権」説のどちらも「極端かつ一方的」としたうえで、しかし学力テストは適法と判断しました。教師には教育内容を決めることが、完全に自由でないわけではないが、完全に自由であるわけでもないということですね。つまり、一定範囲で(「必要かつ相当と認められる範囲で」)国家は介入してもいい、と。

国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する。

いずれにしても、ここで問題になっているのは自由権ですから、選択肢ウは間違いです。



憲法 第四版
教育を受ける権利に関して争われている重要な問題は、教育内容について国が関与・決定する権能を有するとする説(「国家の教育権」説)と、子どもの教育について責任を負うのは、親およびその付託を受けた教師を中心とする国民全体であり、国は教育の条件整備の任務を負うにとどまるとする説(「国民の教育権」説)のいずれが正当かという、いわゆる教育権の所在に関する問題である。



憲法〈1〉
国家が教育制度を作り、教育の場を提供することから、その施す教育の内容や方法に関して、国の考え方と、教師や親権者の考え方が衝突する場合があり、その場合に、どちらが優先するかという問題がある。これは、突きつめれば、子どもに教育を施す主体、子どもに対する教育の内容を決定するのは誰かという問題であるが、さしあたりは公権力は教師の教育の自由にどこまで干渉できるかという問題である。教科書検定や学力テストなどに関する一連のいわゆる教育裁判において、これをめぐる論議が展開された。



野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利 『憲法I 第4版』 496頁

憲法
旧来の通説では、教育内容の決定権が国家にあることを前提として、国家に教育内容への介入権を認め、教育の自由という考えを否定する「国家の教育権j説が中心であった。(中略)これに対して、教育内容の具体的な決定権が国家にあることを否定し、親や教師、子どもなどさまざまな主体の教育の自由を承認する立場を総称して「国民の教育権」説が主張されるようになった。



憲法 (新法学ライブラリ)
学問の自由に関連して述べたように,教育には必然的に強制や規律の要素が含まれる。学問の「自由」,教育の「自由」という標語で提起されている問題は,この強制や規律の内容を決定する権限が誰にあるかというものである。(中略)子どもの学習権に対応する責務として,具体的に誰が子どもに対する教育の責務を果たすべきかについて従来「国の教育権」説と「国民の教育権」説とが対立してきた。



長谷部恭男 『憲法 第4版』 286頁

憲法
政府の教育制度整備義務は,子どもの学習権を実現するもので,学習権の内容と対応するが,その義務の具体化は,政府のもつ教育内容決定権限の内容と限界の問題として立ち現れる。



渋谷秀樹 『憲法』 318頁