富野由悠季監督『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア [Blu-ray]

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まあなんというか、厨二病がいろんな形、いろんな程度で、同時多発的に発症して、そのエネルギー(=サイコフレームの光)で観客の頭が真っ白になる映画、というのが、最も適切な要約ではないかと思う。
物語を引っ張るフックは大きく分けて二つある。一つは、シャアによる地球寒冷化作戦=隕石落としを、アムロたちロンドベル(≒地球連邦軍)が防げるか否か、というポイント。もう一つは、「サイコフレーム」という新技術が、どうも実はジオン側から連邦軍に流れてきたものらしいが、それはなぜか、という謎。
物語上はこの二点が牽引力を発揮している・・・はずなのだが、しかし観客はおそらく、それらの点にはあまり関心を向けない。観客の関心は主に、登場人物たちの厨二病がどこまで進んで、どんな形で昇華するか(=どう死ぬか)という点だけに向けられる。実のところ、作り手の意識もほぼそっち向きであるために、映画としてはものすごく下っ手くそな出来である。
まず、セリフによる説明が非常に多い。特に序盤のセリフはほとんど背景とか設定の説明のためのものでしかない。たとえば、すでに「地球を寒冷化する作戦」という言葉が出ているにもかかわらず、アムロはシャアとの最初の戦闘で、「なんでこんな物を地球に落とす? これでは、地球が寒くなって人が住めなくなる。核の冬が来るぞ」と言う。いやそんなこと(物語世界では)誰でも知ってるから。他方で、後半、特に戦闘シーンでは、セリフが断片的すぎて、何を言っているのかさっぱりである。しかしそれはまあ富野節というものであって、観客はそれを期待しているのだから、それでいい。
次に、シャアの作戦が防げるか否かというフックの牽引力がかなり弱い。まず、冒頭で巨大隕石(フィフス)は一つすでに落ちていて、おそらくかなりの人死にが出ている。しかし主に宇宙にいる登場人物たちは、その人死にのことにはあまり関心がなく、もう一つ落とされることで、地球が寒冷化して人が住めなくなることだけを心配している。もちろん、スペースコロニーがあるので、地球が住めなくなっても人類が滅亡するわけではない。つまり、ここで問題になっているのは、地球という特殊な住環境を残すか、それとも全員がスペースノイドになるかという、ある種イデオロギー上の対立でしかない。そのため、観客の感情移入は容易ではないし、感情移入を促すような工夫もない。観てても、アムロたちは何をそんなに頑張っているのか、いまいち感情的な理解ができない。
最後、地球に向かって落ちる小惑星アクシズの破片を、アムロνガンダムで押し返そうとする。そこに、非力なジェガンとかジムIIIとかが爆発覚悟で応援に来る。さらには、敵軍のギラ・ドーガとかも来るのだが、その動機が、なぜ自軍の作戦に背いているのか、まったく不明である。
そんな中で、サイコフレーム技術がなぜ連邦に漏洩してきたのかが明らかになる。なんとシャア自身が流したというのだ。「情けないモビルスーツと戦って勝つ意味があるのか?」 ここにおいて、シャアの目的が、単に「アムロ君ともっとガンダムファイトしたかったんだもん」であることが判明する。厨二病どころか小学生じゃないか。
なので、ギラ・ドーガの人たちも、大将の幼児気質に嫌気がさして、という説明もあるかもしれない。しかし、だとしたら、上記のイデオロギー的側面はどうなるのか。いや、イデオロギーとかそんなことは関係なくて、みんなシャアのカリスマに惹かれていただけなんだ、という解釈もありうるが、しかし、正直、シャアの演説とか聴いてみても、それほどのカリスマ性は感じられない。作中でしつこく描かれているのは、シャアの女を騙すテクニックだけだ。
とはいえ、私はこの作品が大好きだ。特に、ハサウェイがクェスに、「子供は嫌いだ、ずうずうしいから!」とか言われたり、その挙句、自分を守って死なれ(「どきなさい、ハサウェイ」)、ショックで動顛して、チェーンを殺したり(「やっちゃいけなかったんだよ(以下略)」)するところとか、ほんとに素晴らしいと思う。ギュネイの情けない秀才ぶりも最高だ。
ちなみに、中学校のときに、運動会の応援うちわの裏に、漆黒の宇宙と青い地球、その中間に浮かぶアクシズを(ほぼ一人で!)描くのに夏休みを費やしたのは、恥ずかしいから秘密である。あれは今までで一番頑張って描いた(そして上手に書けた)絵であることだなあ。