Gabriele Muccino監督『The Pursuit of Happyness』(邦題:幸せのちから)

駐車違反の罰金が払えずに逮捕され、家賃が払えずに追い出され、税金が払えずにいたら口座から強制徴収され、女房は愛想つかして出ていき、文なし家なし子連れで、簡易宿泊所、教会、駅のトイレを泊まり歩き、事前買い取り式の骨密度スキャナの訪問販売(と売血)で糊口をしのぎ、その間に無給の株式仲買人のインターンで頑張る男の話。
とにかくWill Smithの演技が素晴らしい。米国映画にありがちな、上手くいかないとすぐ壁とか机とかをバンっと叩くのがなくて、それだけで好感度アップ。もちろんそういうのだけではなく、インターン20人中、正社員として採用されるのは1人だけ、という厳しい条件下で、まさしく電気のないくらい部屋での「蛍雪の功」の結果、結構頑張れたはず、という感じを本人も観客も持っている最終日、偉い人から呼び出しを受け、もっと偉い人たちが集まっている部屋に行き、そこで「明日からも来てくれるか」的な言葉を受け、会社を出て人ごみの中で喜びをかみしめる、に到るのWill Smithの表情の変化がもう最高。
中盤、頭のおかしい老人にスキャナを盗まれ、取り戻したはいいものの壊れていて、血を売った金でスキャナの部品(ランプ)を買い、直った機械の電源を入れると、宿泊所で寝泊まりする人たちの上に光が落ちる。この光が未来への希望を表しているのだが、この象徴表現もばっちり決まっている。もちろん、その辺の電気屋で売ってるランプをつけただけで骨密度スキャナのような精密機械が直るのか、というのはあるが、それは気にしないでいいの!
最後、たとえば出ていった妻が再登場して何らかの扱いがあれば、おそらく涙が流れるところまでいっただろうが、そのへんはあっさりしており、そこまでのカタルシスはない。そして、カタルシスがないがゆえに、作品にリアリティが加味されているし、後に残る良作になっている。Smithの演技もそうだが、監督の方針にも絶妙な抑制が効いていてそれがいい。
というわけで、「幸せのちから」なんて幼稚で意味不明な邦題をつけた人は、一回駅の便所で夜明かししてみてくださいね。