大澤真幸『不可能性の時代』

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

相変わらずのエンターテイナーぶりで尊敬するのだが、それを楽しめなくなっている余裕なき30代の自分を意識してしまって鬱。あとまあ、粗が見えやすくなった(原因が著者にあるのか自分にあるのか知らんけど)のも興を殺ぐなあ。

ミネルヴァのふくろうは夕暮れに鳴くという。だが、ふくろうを出来事が進行している渦中に、昼間のうちに鳴かすことはできないだろうか。そもそも昼間のうちに鳴くことができないのならば、ふくろうの存在など何であろうか。さらに言おう。昼間はほんとうは、夕暮れのふくろうを一種のユートピア的な期待のようなものとして最初から胚胎させているはずではないか。それならば、先取りされている夕暮れの視座を昼間のうちに占め、そこから昼間を捉え、鳴くことが十分に可能なはずではないか。こういう思いから、私は、本書を執筆した。 (p. 287-288)

鳴いてどうすんだよ。飛び立てよそこは。